No.57 : Reward


 エレベーターのドアが開く。感性が研ぎ澄まされた状態の三人は、一歩踏み出した瞬間から微かに不穏な気配を感じ取っていた。
 例の曲がり角に到達すると、いよいよ殺気は濃さと粘度を増してきた。三人は誰からともなく意識を集中し、渦巻く濁流の中へ歩を進める。
 以前は肌に触れた瞬間から逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。しかし今は違う。あれほど辛く険しい道のりだったのが嘘のように、ほんの少しの抵抗感以外は何も感じない。

 ヒソカの元へたどり着くと、辺りを埋め尽くしていた負のオーラが一瞬にして霧散した。視界がクリアになる。
「200階クラスへようこそ。洗礼は受けずに済みそうだね」
そう言うとヒソカは口元の笑みを深くした。
「キミがここにきた理由は大体想像できる。……でもはっきり言って今のキミと戦う気は全くない」
それはこちらにとっても好都合だった。この階まで本気を出さずとも勝てるような試合にしか巡り会えなかったゴンに、修行の成果が出ているとは考えづらい。今挑んでも思うような結果は出ないだろう。
「このクラスで一度でも勝つことができたら相手になるよ」
そう言って立ち上がり、この場を去ろうとしたヒソカだったが、彼は何かを思いついたようにふと足を止めた。三人は首を傾げる。
「あ、そうそう」
直後、の頬に一瞬触れた柔らかな感覚。同時に砂糖菓子のような甘い匂いがふんわりと鼻先を掠めた。
「なっ……」
絶句するキルアと目を丸くしているゴンの視線の先で、はほんのりと頬を染めたまま放心している。
「ここまで来られたご褒美」
ヒソカはそう言うと、薄く笑みを浮かべながら人差し指を自分の唇に当てた。
「てっめぇ……おい、早くそいつ殴れ!」
キルアはヒソカを指差して叫んだ。怒号のおかげで我に返っただったが、いきなり暴力を振るう気にはなれなかった。洗礼を受けて負傷することもなく、無事に纏を習得できたのは、ヒソカのお陰だと思ってしまったからだ。
「お前がやらないならオレがやる!」
そう言って今にも掴みかかろうとしているキルアをゴンが羽交い締めにした。
「それはオレの目標だから」
「んなこと言ってる場合か!」
まるで噛み合わない二人のやりとりに乗じて、いつの間にかヒソカは姿を消していた。
「あいつ、異常性癖の塊かと思ってたけど普通の変態らしいこともするんだな……」
ゴンの腕の中から抜け出したキルアは、青ざめた顔で盛大なため息をついた。

 受付嬢に明るく出迎えられたゴンとキルアは、受け取った書類に署名を済ませた。すると今度は参戦の申込みについて問われる。200階クラスからは申告戦闘制といって、九十日間の準備期間のうち、好きな日に戦闘日を指定できるというシステムを採用しているらしい。そして一度でも戦闘を行えばまた九十日の準備期間が与えられ、行わなければ即失格となり登録が抹消されてしまう。
 また、このクラスをクリアするには十勝が必要となり、それまでにもし四敗するとこれまた失格となるのだと受付嬢は言った。
「そして!」
子どものように瞳を輝かせた受付嬢の顔が眼前に迫る。
「晴れて十勝しますと、なんと、フロアマスターに挑戦することができるのです!」
フロアマスターとは二十一名の最高クラスの戦士たちで、それぞれが230階から250階の各フロアをたった一人で占有している。彼らに挑戦して勝った者は、その日から新たなフロアマスターになれるのだという。

 三人は驚くどころか相槌すらうつことなく、目の前でくるくると表情を変える彼女をただひたすらに凝視していた。二年に一度開かれるバトルオリンピアも、最上階のペントハウスも、豪華副賞も、三人の関心には微塵も掠らない。思うような反応を得られないショックに、彼女の語りは凄まじい勢いでトーンダウンしていった。
「なんかオレ、最上階の秘密もわかったしもういいや」
「オレも。ヒソカと戦えればそれでいい!」
「二人が行かないならもいいかな」
期待はずれとでも言うように冷めた目のキルアと、悪気なく受付嬢にとどめを刺すゴン。も強くはなりたいものの、その頂点には特に興味がなかった。
 とはいえ、ゴンはヒソカとの対戦条件を満たすため、このフロアでまず一勝しなければならない。
「あんたたちいったい何しに来たのよぅ……」
力なくそう言ったきり黙ってしまった受付嬢をよそに、ゴンはさっそく参戦申込書の記入を始めた。

 ちょうどゴンが基本の情報を書き終えた頃、キルアの眉が小さく動いた。彼が振り向いた先をも追うと、見慣れない三人組が少し離れたところからこちらを監視していた。
 三人はそれぞれ、身体のどこか一部を欠損、あるいは負傷していた。左腕のない能面顔の者、車椅子に乗った白コートの者、覆面様のフードで顔全体を覆い隠した義足の者。おそらく過去に洗礼を受けた結果なのだろう。
「おいゴン。あいつらお前と戦いたいみたいだぜ」
キルアの言葉でゴンも初めて彼らの存在に気づいたようだった。ゴンはしばらく考え込んだかと思うと、最後に残っていた選択欄へ豪快にチェックを付ける。
「オレ、戦闘日はいつでもいいです!」
そう言って提出された申請書は言うなれば、ゴンから彼らに対する挑戦状であった。

ヒソカの壁を突破。