No.56 : Wear


 人間は誰しもが"オーラ"と呼ばれる生命エネルギーを持っている。念とは、普段は垂れ流しの状態にあるオーラを自在に操る技術の総称である。
 その中の基礎に、オーラを肉体に留める纏(テン)、完全に絶つ絶(ゼツ)、通常以上に生み出す練(レン)、個別能力の発(ハツ)があり、これら四つの技術をまとめて"四大行"と呼ぶ。

 は、ウイングの解説に瞬きも忘れるほど夢中で聞き入っていた。以前ここを訪れた際に聞いた話も十分に魅力的ではあったが、あくまで精神論の延長といった具合で、どこかふわふわと現実味のない印象は拭えなかった。それに比べて今回の話はしっかりと地に足をついている。

 ウイングは、無防備な状態で邪念のこもったオーラに曝されればそれだけで死に至ることもあるのだと前置きした上で、ヒソカの足止めを突破するには纏による防御を身につける必要があると述べた。
「そしてこの眠れる力を呼び覚ますには二つの方法があります」
ゆっくり起こすか、無理矢理起こすか。本来は、瞑想や禅などで自身のオーラの流れを少しずつ感じ取っていくという方法をとるのが一般的である。そう言うとウイングはすぐ横に控えていたズシへ視線を落とした。
「もちろんズシはゆっくり起こしました。彼は飲み込みが早く努力を惜しまなかったので、約半年という早さで纏をマスターしました」
師匠に突然真正面から褒められたズシは、誇らしさと照れくささの入り交じったような顔をしていた。しかしそんな彼には悪いが、ゴンたちは纏の習得に半年もかけていられない。
「オレ達にはタイムリミットがある。無理矢理の方で頼むよ」
キルアの選択は、あの場に居合わせていた者からすれば想定通りの内容ではあった。しかしウイングはすぐには応えない。彼は静かに目を閉じると、深く長い息を吐いた。

 ウイングは心源流の師範代として、本音では邪道を行くことを良しとしたくはなかった。だからせめて、これが彼らの状況を考慮した上での特例措置であるということを認識して欲しかったのだ。
「これは外法と呼ばれる裏技で危険を伴います。それに、いくら早道と言っても時間内に纏を習得できるかどうかは結局あなたたち次第ですよ」
ウイングはそう念押しをすると、荷物を置いて上着を脱ぐよう三人に告げた。

 はウイングに言われるがまま上着を脱ぎ、彼に背を向けた。少しすると、背中にじんわりと熱が広がる。
「いきますよ」
ウイングのその言葉を皮切りに、の身体をなんとも言い難い感覚が走り抜けた。痛みのない感電、宙に放られた時の浮遊感、四方から強風を浴びたような――どれもしっくりこない未知の感触だ。思わずは小さく悲鳴をあげた。

 次の瞬間には、全身を半透明の何かが覆い尽くしていた。蒸気様のそれは容赦なく身体中からほとばしり、発散し消えていく。
「それが生命エネルギー。オーラです」
ウイングの説明にの胸は高鳴った。本当に自分もあの不思議な力を扱えるのだと思うと興奮が止まらない。しかし生命のエネルギーという名の通り、一旦全て出し尽くせばしばらく全身疲労で立てないと聞き、の背筋に冷たいものが走った。同じく困惑を滲ませた顔のキルアと目が合う。
「いいですか。オーラを体に留めようと念じてください」
三人はウイングの指示通り、オーラの動きにのみ意識を集中した。目を閉じ、足は肩幅、両腕は自然に体の横。オーラが血液のように全身を巡るイメージで、頭のてっぺんから右の肩、手、足を通り左側へ。そしてその流れが次第にゆっくり止まり、体の周りで揺らいでいる様子をイメージ――。

 感嘆の声が聞こえた。が思わず目を開けると、ウイングが熱を帯びた瞳で自分たちを見つめていた。
 先ほどまで湧き出た途端に消えていたオーラが、今は肌から数センチのところでゆらゆらと揺蕩いながら全身を縁取っていた。触感があるともないとも言えない奇妙な肌触りがくすぐったい。
「そのイメージを常に忘れないでください。慣れれば寝ていても纏が使えるようになります」
今はまだ、他へ意識を飛ばしかけた途端あちこちに淀みが生まれてしまう。は試しに今日の夕食のことを考えてみたが、一瞬にしてオーラの膜は霧散してしまった。
「今度は敵意を持って君たちに念を飛ばします」
ウイングの言葉には慌てて意識をかき集めた。直後、先ほどの不思議な触感が全身に戻ってくる。ウイングの眉がわずかに動いた。

 周囲の様子が一変した。纏のおかげで直接的な刺激や感触はないけれど、膜一枚隔てた向こう側の空気があきらかに禍々しく歪んでいる。
「さっきまでの君たちなら今この場にいるだけで辛かったはず」
そう言ってウイングは三人を見回した。
「あぁ。あんたの喩えの意味がよくわかったよ」
キルアが自嘲気味に息を吐いた。極寒のなか裸でなぜ辛いのかわかっていない状態――ヒソカの念に曝されながらもなお立ち向かおうとしていた自分たちを表した言葉だ。いま考えると、これほど的確な表現は他にない。
「それではここからが本番ですよ。……いきます」
自身の纏がどれほどの完成度なのか、にはわからない。イメージにのみ集中するため、ぎゅっと目を瞑る。またあの濁った邪悪なうねりに包まれるのかと思うとは震えが止まらなかった。

荒療治。