No.53 : Force


 キルアの協力を得られることが確定したは、今まで以上に決意に燃えていた。これからの特訓は自分だけの問題ではない。相手の貴重な時間を奪うことになるのだ。
「しっかし、よくあんなヘッポコ体術でハンター試験なんか受けようと思ったよな。命知らずっつーかなんつーか」
「うっ」
ベッドに寝転がりながら何気なく発したキルアの言葉がの胸に深く刺さった。出会ったときから助けられてばかりだった思い出が、走馬灯のように駆けていく。しかし、その結果湧き上がってきたのは情けなさばかりではない。
「で、でもその無茶のおかげでキルアたちに出会えたんだから、の選択は間違いじゃなかったと思う!」
たとえ開き直りと言われてもよかった。これはの心からの本音である。にとってハンター試験での数々の出会いは今やライセンスよりよほど価値のあるものなのだ。
「そういう恥ずいこと言うなっつーの」
キルアはそう言い捨てると横になったままそっぽを向いた。

 翌日。とキルアはその日の試合を白星で終えると、闘技場内にある練習用のリングへと足を運んだ。筋力トレーニング専用のジム施設は今までに何度も利用していたが、ここへ来るのは二人とも初めてだ。
「一つ聞きたいんだけど」
ストレッチをしながらキルアが最初に口を開いた。未だ何も指示がなく手持ち無沙汰のは、そっくりそのまま同じ動きを真似している。
「お前今までケンカとかした事ないだろ」
十中八九ないと踏んでの問いだったが、意外にもは心外だというように勢い良く顔をあげた。
「え、あるよ! ちっちゃい頃はよくおもちゃの取り合いで……」
ある意味予想通りの返しに脱力するキルア。
「違う違う。チンピラに絡まれて殴り合うようなやつ」
「それは、ない、けど」
そうだろうな、という表情でキルアは小さく息を吐いた。多少の手助けがあったにせよ、ハンター試験のマラソンを完走できたという点を見るに、基礎体力が致命的なわけではない。試しの門を開けられたのだから腕力も及第点。格闘のノウハウはこれから教えるとして、まず問題なのは――。
。オレを思いっきり殴れ」
「ええっ!?」
キルアの突拍子もない指示には素っ頓狂な声を上げた。そしてすぐ顔に滲み出てくる心配の色。
「大丈夫。お前のパンチなんてまず当たらないから」
ケロリとした表情でそう言うと、キルアはリングへ上がり、に向かって手招きをした。
「掠ってからが本当の特訓スタートな」

 は人を殴ることを躊躇している。
 一階で見せた蹴りの威力はなかなか良かった。邪な目で見てくる相手に対する嫌悪感から、無意識の内に本気の力を出し切っていたからだ。
 しかしそれ以降の対戦相手にはあからさまな"悪者"が居なかった。子どもだから・女だからと見下してくることはあっても、はそこに特に執着はないようで、相手に悪印象を抱くこともない。すると途端に攻撃速度が鈍くなる。何の恨みもない相手を殴ることに遠慮があるのだ。
 幼い頃から殺しの訓練を受けているキルアにはもう思い出すことすらできない感覚だが、対人戦の経験が少ない者にはままあることらしい。まずは全力で相手に向かっていこうとする闘志を持ってもらわねばならない。

 キルアはの繰り出す打撃をあえてギリギリのところで躱しながら、彼女の動きを観察していた。そして合間合間で茶々を入れることも忘れない。
「お前は手加減できるような立場なのかよ」
のこめかみがぴくりと動き、ほんの少し腕の振りが早くなった。
「全力を出さないのは相手に失礼だぞ」
そう言い終わった途端、の動きのキレが格段に良くなった。なるほど、この方向ね。とキルアは口の端を上げる。
 の脳裏に浮かんだのは、まだ見ぬ先の対戦相手ではなく特訓に付き合ってくれているキルアの存在だったのだが、それを彼が知る由はない。

 一時間ほどやりあったところで、キルアはの拳を軽々と片手で受け止めた。なりの全力を込めていたはずだが、ボールがミットに収まったかのようにそれ以上動かない。
「よし。準備運動はこのくらいでいいか」
そう言ってゆっくりの拳を下ろさせると、彼はリングからひらりと飛び降りた。
「えっ、でもまだ一度も当たってないけど」
一人取り残されたは縋るようにキルアを見る。
「あれはお前を本気にさせるための嘘。そんなの待ってたら何年かかると思ってんだよ」
確かに、膝に手をつき肩で息をしているに比べて、キルアは汗ひとつかかず平然としている。次元が違うとはまさにこのことだ。
「五分休憩したら本番だからな」
キルアはベンチにかけられていたタオルをへ投げて寄越すと、軽い足取りで側にある自動販売機へ向かった。

スパルタ。