No.45 : Flush


 鳴り止まぬ拍手の中、ソファの後方にある扉が開かれた。そこから覗く、月白色の柔らかな髪。
「おいゴトー、ゴンたちはまだか?」
懐かしいその声に、真っ先に反応を示したのはゴンであった。弾かれたように後方を振り返る。視線がその人物を捉えた瞬間、顔いっぱいに広がる喜色。
「キルア!」
「なんだ、居たんじゃん!」
キルアはゴンの姿に気づくと、駆け足でそばまでやってきた。するとようやく目に入った、両脇の二人の存在。
「えーっと、クラピカ!」
「ついでか!」
しばらく考えなければ名前が出てこないことに少しショックを受けつつ、クラピカは声を張り上げた。
「リオレオ!」
「レ・オ・リ・オ!!」
レオリオに至っては、即答ではあるものの自信満々に名前を間違えられていた。

 懐かしい顔の揃った瞬間であった。しかし、キルアはある人物だけが見当たらないことに気づく。ミルキの話では、ゴンたちと行動を共にしていると聞いていたが――ふと視線を下に向けると、床に座り込んでいる一人の少女。

名を呼ぶと、彼女は肩をびくりと震わせ、ゆっくり顔を上げた。涙でゆらゆらと震える瞳がキルアの姿を捉え、柔らかく細まり、端から幾筋もの雫が流れ落ちた。
「久しぶりだね、キルア」
努めて明るくが言った。
「あぁ。久しぶり」
咄嗟に当たり障りのない言葉を返してしまったキルアだったが、彼女の頬を涙が伝うたび、罪悪感がちくちくと刺さる。周りからの視線も痛い。
 ついに耐えきれなくなった彼は、彼女の正面に回り込み、流れる涙をぎこちない手つきでそっと拭った。
「来てくれてありがとな」
今はなんとかそう絞り出すのが精一杯だった。

 ようやくの涙が引いたところで、キルアは早く家を出ようと皆を急かし始めた。ここにいると母親の干渉が激しいらしい。
 皆の足が出口に向かい始めるなか、キルアはゴトーに後を追ってこないよう念押しをしていた。そのやりとりの奥にカナリアの姿を見つけたは、最後の挨拶にと、慌てて彼女の元へ駆け寄る。
「カナリアさん!」
執事仲間に両隣を固められたカナリアは、すっかり元の涼しい顔に戻っていた。しかし出会った時に比べて、随分と雰囲気が柔らかい。
「協力してくれてありがとうございました」
はそう言って深く深く頭を下げた。キルアと無事再会することができたのは、彼女が命を賭して自分たちに肩入れしてくれたおかげだ。家からの命令よりもキルアの意思を大事に思った結果だ。
「顔を上げてください」
カナリアの声に従うと、ほんの少し口元を緩ませた彼女と目が合った。こんなに穏やかな顔を見たのは出会って初めてだった。
「これからもキルア様をよろしくお願いします」
彼女にはこの家を守るという使命があり、それは巡り巡って、キルアのためとなる――立場が違おうとも、隣に居られなくても、キルアへの想いに変わりはない。
 カナリアの気持ちも共に背負っていくことを決意したは、彼女の心からの願いに力強く頷いたのだった。

 執事室を後にし、試しの門の前まで下山してきた五人だったが、観光バスがやってくるまでにはまだ少し時間があった。すると、ちょうど門の番をしていたゼブロが、守衛室でお茶でも飲んで行かないかと声をかけてくれた。
 皆がゼブロの案内で部屋に入っていく中、も同様に足を踏み入れようとしたところで、後ろから何者かに手を引かれた。振り向くと、妙に深刻な顔をしたキルアと目が合う。
。話があるんだけど、いいか」
「え、うん」
特に断る理由のないは、驚きながらも二つ返事で頷いた。ホッとしたように小さく息を吐いたキルアは、今度は室内に視線を移す。
「わるい、その辺ちょっと散歩してくる」
皆にそう声をかけると、キルアはの手を掴んだまま、どこへともなく歩き始めた。

 しばらく歩き、森の入り口の木の下でキルアは立ち止まった。ここまで来れば、話の内容を聞かれることも姿を見られることもないだろう。

 は、なかなか口を開こうとしないキルアの背中をじっと見つめた。先ほどまで、ようやく手に入れた自由を謳歌するかのように晴れやかな顔をしていたはずが、今はどこか沈んだ雰囲気を纏っている。
「キルア?」
心配になったがおずおずと声をかけると、キルアは目線を下げたままゆっくりと振り向いた。
 そこからまた、しばしの間があった。だが、はもう次の言葉を急かそうとはしなかった。キルアは何度か大きく深呼吸をすると、意を決したように口を開いた。
「……飛行船でのこと、ずっと謝りたかったんだ。でも最終試験であんなことやらかして、にどう顔向けしたらいいのかわからなくなった」

 はぐっと言葉を詰まらせた。亡くなったボドロのことを思うと確かに胸は痛むが、だからといって、自ら反省し変わろうとしているキルアに対して自分が言えることは何もないように思えたからだ。

 しかし少なくともこれから先、彼が闇の道から抜け出せるよう手助けをすることは間違いではない気がした。
「……、キルアにまた会えて嬉しいよ」
いま言えることといえば、それだけだった。彼の行いに対して思うことはたくさんあるけれど、そのせいで彼への想いになにか悪い影響があったかといえばそれは否だ。

 するとキルアは、ずっと足元に落としたままだった視線をふいに上げた。
「……オレも。また会えて良かった」
キルアはようやく笑顔を見せた。思いもよらぬ返しには目を見開く。いつもの彼ならば、きっと照れ隠しで憎まれ口を叩いていたはずだ。当然、今回もそれを覚悟で言ったつもりだったのだけれど。
 は胸の奥だけでなく、両の頬も一緒にじんわり温かくなっていくのを感じた。

おかえり。