No.44 : Game


 ようやくキルアに会えるという喜びから浮き立ちっぱなしだった空気を一変させたのは、ゴトーによるゲームへの誘いであった。退屈な待ち時間を有意義に過ごせるようにとの彼なりの配慮らしい。
 突然の提案に四人が当惑している間にも、ゴトーは懐から一枚のコインを取り出し、指で弾き上げた。そして回転しながら落ちてくるそれを素早く受け止める。ただし右と左、どちらの手に収めたのか分からないようフェイクの動作を入れて。
「コインはどちらの手に?」
既にゲームは始まっていた。左手、と答える四人の声が揃う。するとゴトーは左手からコインを取り出し、満足げに口の端を上げた。
「ご名答」
ここで正解することは予想の範疇だったようだ。

 次の動作は更に早かった。しかしゴンは迷うことなく、またもや左手を選ぶ。も内心ではゴンと同じ意見だったが、声に出すほどの自信はなかった。ドキドキしつつも黙っていると、ゴトーの左手の平に金色が現れ、はこっそり安堵の息を吐いた。

 斜め後ろに控える執事の拍手を背に受けながら、ゴトーは不敵な笑みを浮かべた。
「じゃあ、次は少し本気を出します」
その言葉通り、今回の手の動きは先ほどまでのそれとは次元が違っていた。からすれば、コインどころか掌の実体も捉えられないほどの高速なフェイント。レオリオは小さく唸りつつ、自信なさげに右手を選択した。
「私はキルア様を生まれた時から知っている」
ゴトーは両の手を握りしめたまま、胸の内から溢れ出る何かを押さえ込んだような声で言った。
「僭越ながら親にも似た感情を抱いている。……正直なところ、キルア様を奪おうとしているお前らが憎い」
もともと人相が良いとは言い難い風貌ではあったが、憎しみを露わにした彼の迫力は普段の比ではなかった。は恐ろしさのあまり、彼の目を直視することができないでいる。
「さあどっちだ、答えろ」
先ほどまでの紳士的な態度が嘘のように、荒々しい口調で詰め寄るゴトー。あまりの気迫に息苦しさを感じつつも、クラピカは左を選択した。

 ゆっくりと開かれた左手に潰れたコインが乗っているのを確認し、皆の肩の力が抜ける。
「奥様は消え入りそうな声だった。断腸の想いで送り出すのだろう」
ゴトーはそう言うと、右手で顔を覆った。その苦しげな様子にが同情心を呼び起こされ始めた矢先。
「許せねぇ」
鋭い眼光が指の間から覗いた。

 ゴトーはこれからが本当のゲームだと言い、歪んだ形のコインを用済みとばかりに放り捨てた。
 今までのやりとりは全て、言うなれば互いの肩慣らし。次からは、一度でも間違えた者は回答権を失う。そして――。
「四人とも間違えたら、キルア様にはお前らは先に行ったと伝える。二度と会えないところへ行ったとな」
ゴトーがそう言い終わった途端。は、横に控えていた執事二人が隠し持っていた武器を取り出す瞬間を視界端に捉えた。
「命令を無視してお前らをここに連れてきた罰だ」
カナリアの首筋にあてがわれた、短刀の切っ先がきらめく。どうやら本当に失敗は許されないらしい。

 ゴンが何かを言いかけた時、それを遮るようにドスの効いたゴトーの怒声が部屋中に響き渡った。あまりの大音量に、鼓膜がビリビリと震える。
「てめぇらはギリギリのところで生かされてるんだ。オレの問いにだけ馬鹿みてぇに答えてろ」
ゴトーはそう言い捨てると、返事も待たずにコインを弾き上げた。そして相変わらずのフェイントを交えてそれを手中に収める。四人のうち、動きを見切れた者は一人もいなかった。
「どっちだ」
間違えるわけにはいかないというプレッシャーから、四人は即答できないでいた。すると痺れを切らしたゴトーが右方の執事へ視線を滑らせる。
「おい、三秒経ったらそいつの首を掻っ切れ」
「おうよ」
カナリアを拘束している執事が軽い返事をよこした。
「待て! 左手だ!」
慌ててレオリオが叫ぶと、ゴンとクラピカは立て続けに右手を指定した。答えの見当が全くついていないこの場合、同数に分かれるのが賢明だと判断したは、咄嗟に左を選ぶ。――コインが握られていたのは右手であった。

 レオリオとが脱落し、残るはゴンとクラピカの二人。しかし、この戦法もあと一度使えば後がなくなる。
 無常にもすぐさま次のトスが行われ、コインはいつのまにか視界から消えてしまった。
 先ほどよりも早いゴトーの手捌き。見えるはずがなかった。ゴンとクラピカは互いに目配せをする。
「私は右手だ」
「オレは左手」
開かれたゴトーの左手にコインが光った。これで残っているのはゴンただ一人。
「いくぜ」
そう言ってゴトーがコインを弾いた直後、ゴンがゲームの中断を要求した。宙を舞ったコインが重力に従い、素直にゴトーの右手へと収まる。彼は額に筋を浮かせながらゴンを睨みつけた。
「なんだ。ただの時間稼ぎなら一人ぶっ殺すぞ」
しかしゴンは平然と彼の視線をかわした。
「レオリオ。ナイフ貸して」
突然刃物を求めてくるゴンに戸惑うレオリオだったが、変なことに使うわけではないと言い添えられ、観念して鞄の中を漁り始めた。

 ゴンは左目のガーゼを剥がすと、レオリオから借りたナイフで瞼に薄く傷をつけた。その瞬間、幹部に留まっていた血が飛沫をあげ、ゴンの服を赤く染める。
「そうか、血を抜いて腫れを……」
感心したように呟くクラピカの視線の先で、ゴンは手際よく傷口を固定していった。
「よしオーケー、よく見える。どんとこい!」
ゴンはそう言って自分に気合いを入れると、次なるコイントスに備えて姿勢を正した。

 血腫がなくなり、左目が開いたゴンの動体視力は以前とは比べ物にならなかった。ゴトーの手捌きは過去のどれより確実に早くなったはずだが、ゴンは一瞬の躊躇もなく正解を言い当てた。
「やるな。じゃあ……」
そう言ってゴトーが立ち上がると、両脇に控えていた二人の執事が距離を詰めた。そしてコインを弾き上げた途端、今度は三人が同時に息の合ったフェイントを見せた。

 速すぎるゆえに、その動きは一瞬で止んだ。
「さぁ、コインは誰の手に?」
たちは唖然とした表情のまま、置き去りにされたような感覚に陥る。しかしゴンだけは、溢れ出る喜色を隠しきれない顔をしていた。
「後ろの、こっちの人でしょ?」
そう言って口の端を上げたゴンは、後ろにいる執事を親指で示した。全く予想外の場所を挙げられ、驚いたが慌ててそちらに注目すると、明るい茶髪の執事の掌で、見慣れたコインがきらめいている。
「……ふ。素晴らしい」
ゴトーは感嘆の息を漏らすと、眉間のシワを解き、柔らかく口元を緩ませた。それを皮切りに執事たちは武器を収め、ゴンの健闘に両の手を打ち鳴らし始める。
 執事全員の拍手に包まれながら、一気に緊張感の解けたはその場にズルズルと滑り落ちた。
 背後の扉が開かれたのは、それからすぐのことであった。

ついに。