No.42 : Swear


 それまで慎ましやかに言葉を紡いでいたはずのキキョウの口が、これ以上ないほどに大きく開かれた。それと同時に響き渡る、悲鳴に近い金切り声。
「まあ! お父様ったら何をなさるおつもり!?」
その無機的なゴーグルを通して、ゴン達には見えない何かを確認しているのだろう。キキョウは一人、錯乱状態で叫び始めた。
「せっかく帰ってきたのにもう!」
彼女の言葉一つ一つを拾って考えてみると、どうやらキルアのことを監視しているようだった。は間接的にではあるが、彼の動向の一端をようやく掴めた気がして、自然と口元が緩むのを感じた。

 静かな小部屋にノックの音が響いた。その瞬間、ミルキを押し潰さんとばかりに辺りに満ち満ちていた殺気が、嘘のように消え去る。ミルキがどっと襲い来る疲労感に苛まれつつドアの方へ視線を向けると、祖父のゼノがちょうどこちらへ歩いてきているところだった。
「もうその辺にしておけ、ミル」
ゼノは呆れたようにそう言って、兄弟二人の横で足を止めた。しかしいくら尊敬する祖父に窘められようと、そう簡単にミルキの怒りは収まらない。
「でもじいちゃん、こいつ全然反省してないんだぜ」
「んなこたぁわかっとる」
それならなぜ、とミルキが食い下がろうとしたところで、ゼノはさらに続けた。
「キル、もう行っていいぞ」
「はーい」
先ほどとはまるで別人の、素直な少年がそこに居た。

 いくらその内容が不服だとしても、既に祖父が出してしまった許可を取り下げることは自分にはできない。目の前でキルアが易々と枷を破壊していくのをミルキは呆然と眺めているしかなかった。
「あー痛かった」
全ての戒めを解き自由の身になったキルアは、わざとらしくそんなことを言いながら腕を回した。そしてゆっくりとドアの方へ向かいながら、ちらりと兄を伺い見た
「兄貴、オレ反省してないけど悪いとは思ってるんだぜ。だから大人しく殴られてやったんだ」
どこまでも上から目線の弟にミルキは怒り心頭だったが、先ほどあれだけの脅しを受けたうえ、隣に弟贔屓の祖父が居たのではこれ以上何も言えない。
 父に呼ばれているという彼の後ろ姿を怒りに震えながら見送ったミルキは、とうとう、持っていた鞭を思いきり地面に叩きつけたのだった。

 青みがかった仄暗い部屋の中央で、キルアは父・シルバと面と向かって対峙していた。父の質問に答えるキルアの顔はどこか強張っている。昔からそうだ。苦手というわけではないが、父の前に来るとえもしれぬ緊張感に包まれるのだ。
「キル。友達ができたって?」
キルアはその言葉を聞いただけで、たくさんの出来事が頭の中を駆け巡っていくのを感じた。だがここで気を緩めてはいけない気がして「うん」と短く肯定するだけに留める。
「どんな連中だ?」
珍しく父が話を掘り下げてきた。
「どんなって……一緒にいると楽しいよ」
それでも言葉を選び、当たり障りのない答えを返すキルア。本来ならば、彼らについて語るには一言では足りないほどの思い出、感情がある。しかしキルアはそれに無理やり蓋をして閉じ込めた。

 なおも会話を続けようとする父に、普段とは違う何かを感じつつも、キルアは未だ警戒を解けずにいた。
「試験は、どうだった?」
「……簡単だったよ」
嘘ではない。しかし詳細は語らない。そんないまいち乗り気ではないキルアにしびれを切らしたのか、シルバは珍しく彼に向かって手招きをした。
「キル。こっちに来い」
キルアは目を見開いた。今までに見たこともないような穏やかな瞳が、自分を見下ろしている。
「お前の話を聞きたい。試験でどんなことをして、誰と出会い、何を思ったのか……どんなことでもいい。教えてくれ」
今日の父は、いつもの彼からは考えられないようなことばかり言う。そのときキルアは、胸の中が温かな何かで満たされていくのを感じていた。

 薄暗い部屋に不似合いな、底抜けに明るい笑い声が響く。
 あれからキルアは遠慮がちに父の隣へ腰掛けると、ハンター試験での出来事についておずおずと話し出した。最初は声も小さく、言葉を選びつつの語りだったが、話が進むにつれていつの間にか、軽快な口調へと変化していた。
「――でさぁ、参ったとも言いたくないし足も切られたくないって言うんだぜ。ワガママだろー?」
ゴンの武勇伝を語るキルアの顔には、それがどれだけ胸踊る体験だったのか、皆まで言わずともわかるほどの笑みが満ちていた。
「面白い子だな」
そんな父の反応に気を良くしたキルアは、さらに新たなエピソードを披露しようと前のめりになった。
「それからさ、っていうめちゃくちゃ食い意地張ってるヤツがいるんだけどさ……」
「キル」
それまでずっと相槌に徹していた父が、初めてキルアの話を遮った。

 キルアは父の神妙な面持ちに気づき、緩みっぱなしだった口を慌てて噤む。そして次の言葉を待った。
「友達に会いたいか」
突然の父の問いにキルアの心臓が跳ねた。即答しそうになってしまったところを無理やり押さえ込み、その居心地の悪さについ目線をそらす。
「遠慮することはない。正直に言え」
そうは言っても、長年の刷り込みに反発するにはかなりの勇気が必要だった。キルアは何も答えない。
「思えば、お前と親子として話をしたことなどなかったな」
父の言葉にキルアは過去を振り返ってみたが、たしかにこんな実の無い話を父にした記憶は今までになかった。そして、二人だけの空間で、ここまで和やかな時を刻んだ経験も。

「オレが親に暗殺者として育てられたように、お前にもそれを強要してしまった」
跡取りを育てることに必死だった父からは考えられないような言葉が、次々と溢れ出てくる。キルアはまるで夢か幻の中にでもいるかのような感覚に陥った。
「オレとお前は違う。お前が出て行くまで、そんな簡単なことに気づかなかった」
そう言うと、シルバはキルアの頭に優しく手を置いた。突然の触れ合いに驚いたキルアが勢いよく顔を上げると、ようやく父と目が合った。幼い頃から畏怖の念すら感じていた瞳が、至近距離でじっとこちらを見つめていた。
「お前はオレの子だ。だが、お前はお前だ」
父の言葉が胸に染み渡る。
「好きに生きろ」

 今までずっと望んでいたことを自分が一番尊敬している父に後押しされ、キルアにはもう、怖いものなど何もないような気がしていた。
「もう一度聞く。仲間に会いたいか」
「うん」
今度は即答だった。
「わかった。お前はもう自由だ」
キルアの頭から、シルバの手のひらがゆっくりと離れた。胸に広がる嬉しさの中に一抹の寂しさを感じながら、それを目で追う。するとシルバは親指の腹を自ら噛み切り、赤い雫の滴るそれをキルアの前に差し出した。
「一つだけ誓え」
親指の向こう側の、真っ直ぐな視線に射抜かれる。
「絶対に仲間を裏切るな。いいか?」
言われずとも、キルアは元よりそのつもりだった。
「うん。違うよ。裏切らない」
キルアは父と同じように自らの指に歯を立てると、指の腹同士をゆっくりと押し付け合った。

親子の会話。