No.41 : Taboo


 突然の銃声に驚いたカラス達が、慌てて木々から飛び立っていく。無数の鳴き声と羽音が辺りに氾濫する中、カナリアの身体がゆっくりと傾き、静かに崩れ落ちた。
「まったく、使用人が何を言っているのかしら」
声のした方へ視線を向けると、紺がかった深い紫のドレスに身を包んだ女性が土手の上で佇んでいた。先ほどのセリフといい、折り畳まれた扇の先から立ち上る紫煙といい、彼女がカナリアを撃ったことは明らかだった。

 レオリオはカナリアの元へ駆け寄ると、地面に横たわったままの彼女の体を急いで抱き起こした。安定した呼吸があることにひとまず安心し、大きく息を吐く。
「ただのクソ見習いのくせして失礼な」
ドレス姿の女性は品ある身なりに似合わぬ暴言を吐き捨てると、その場から一歩踏み出し、包帯の隙間から覗く口の端をわずかに上げた。
「あなたがゴンね。イルミから話は聞いてます」
先ほどとは打って変わって、ねっとりと絡みつくような、よそ行きのソプラノだった。
 彼女の話によると、四人がここに来ていることは既にキルアに連絡済みであるうえ、さらに彼からことづてを預かっているという。
「それでは、キルからのメッセージをそのまま伝えます」
――来てくれてありがとう。すごく嬉しいよ。でも今は会えない。ごめんな。

 ミルキは眉間に皺を寄せ忌々しそうに歯ぎしりをすると、目の前で拘束されたまま、安らかな寝息を立てる弟に向かって勢いよく鞭をしならせた。
「起きろ!」
しかし、派手な音が響いた割にキルアの目覚めは至極穏やかだった。
「ん? あぁ、兄貴おはよう。いま何時?」
何事もなかったかのようなその振る舞いが余計に癇に障ったのか、ミルキは再度鞭を振るい、キルアの肌をより強く打ち据えた。炸裂音が響いたのち、脇腹に痛々しげな赤い痕が浮かび上がる。
「いい気になるなよキル!」
ミルキは肩で息をしながら叫んだ。するとキルアは眉根を寄せ、珍しくしおらしげな顔で兄の目を見つめた。
「そんなぁ。オレ、兄貴を刺しちゃったことすっげー反省してるよ」
「嘘つけ!」
間髪入れずにミルキの野次が飛ぶ。するとキルアは顔に貼り付けていた偽りの表情を取り払い、自然な流れで目を細め、口の端を上げてみせた。
「やっぱわかる?」
やはりこちらの顔の方が彼には抜群に似合う。しかしどちらの態度にしろ、腹が立つのに変わりはなかった。

 ミルキが怒りに身を震わせつつ、再び鞭を振るおうと持ち手を固く握りしめた時だった。胸ポケットに入っていた携帯電話から細かな振動が伝わってくる。ミルキはすぐにそれを取り出すと、身体ごと後ろを向いた。
「はい。あぁ、ママ?」
不機嫌を引きずって返事をしたミルキだったが、相手がわかった途端、ほんの少しだけ高くなる声。しかし、うんうんと相槌を打つ毎にそれはどんどん低く、暗くなっていった。

 通話を終えたらしいミルキはすぐさまキルアに向き直ると、今までに溜まっていた鬱憤を晴らすかのように、悪意にまみれた笑みを浮かべた。
「お前の友達? とうとう執事室まできたそうだぜ」
この話題を口にした途端、先ほどまで飄々としていたキルアの意識が自分の次の言葉に集中し始めるのがミルキにはたまらなかった。

 普段は自分の話を聞こうともしない弟が、友達という存在をちらつかせるだけで一瞬大人しくなる。こんなに愉快な展開が今まであっただろうか。しかしそれ故に、調子に乗りすぎ饒舌になったミルキは、再び地雷を踏みつけてしまうのだった。
「まったく馬鹿な奴ら。どれだけ頑張ろうが、オレの裁量次第でどうにでもなっちまうのにな。まぁ、お前のお気に入りがどんなコか実際に確かめてからでも遅くはな――」
いとも簡単に弾け飛んだ鎖。確かな素材で作られているはずのそれは、まるでおもちゃのように砕け散り、落ちた欠片が足元で甲高い音を立てた。

 腕に力を込めただけで枷を破壊したキルアの目は狂気に満ちていた。十歳そこそこの少年が放っているとは到底思えない殺気だった。
をお前の腐った物差しで測るな」
あと一回でもタブーを犯せば、実の家族だろうがためらいなく殺されるに違いない。そう思わせるだけの迫力があった。
「あぁ、それと」
ミルキは悔しさに身体を震わせながらも、キルアの言葉をただ黙って聞いていた。しかし自分の意思で律儀に口を噤んでいるわけではない。
「あいつらに何かしたら、殺すぜ」
身体が動かないのだ。呼吸すら困難なほどの威圧感。ミルキは内心苛立ちを募らせながらも、この展開を呼び起こしたほんの数分前の自分の行動を悔いていた。

 はキルアからのメッセージを何度か反芻してみたが、諦めの感情が芽生えるどころか、むしろ彼に会うのだという意志がより強固になっただけであった。そして、そもそもの真偽を疑っている自分すらいる。その言葉は目の前の女性の虚言なのではないのか、と。
「ご紹介が遅れました。私はキキョウ。キルアの母です」
キキョウは続けて、自分の横に控えている着物姿の少年をカルトと呼んだ。
「キルアがオレたちに会えないのはなんでですか?」
ゴンが問うた。彼の目にも落胆の色はなく、ただ単にキキョウの言葉の信憑性を測ろうとしているように見える。
「独房にいるからです」
キキョウの口から飛び出した、聞き馴染みのない言葉に一瞬心がざわついただったが、ここがどこだかを考えればむしろ自然かと腑に落ちた。

「キルアは私を刺し、兄を刺し、家を飛び出ました」
本人が語っていた内容と相違ない。四人は静かに頷いた。
「キルは自分のした事を反省し、自ら戻ってきました。そして今は自分の意思で独房に入っています」
これについては都合良くキキョウ自身の願望も反映されている気がしてならないだったが、ここで反論しても仕方がないので黙っておく。
「ですから、キルがいつそこから出てくるかは……」
キキョウがそう言って話を締めようとしたその時、彼女のゴーグルの中心に赤い光がきらめいた。

つい口を滑らせるミルキ。