No.33 : Incensed


 バスを降りたのは昼過ぎだったはずだが、いつのまにかすっかり日は暮れ、あたりは闇に満ちていた。
「これは試しの門といって、重さは一の扉で片方二百キロあります」
再び上着を着直しながらゼブロが言った。
「に、にひゃく!」
常識はずれの数字に驚いたレオリオだったが、ゼブロの台詞に疑問を感じ、怪訝な表情を浮かべた。
「……待てよ。一の扉は、だと?」
「えぇ。扉の数字は七まであって、一つ数が増えるごとに重さが倍になります」
確かにその扉は大きさの異なるそれが何重にも重なったような作りをしており、小さい順に一から七までの数字が刻まれていた。開ける際に込めた力が強ければ強いほど、大きな扉が開くのだとゼブロは言った。
「ちなみにキルアぼっちゃんが帰って来たときは三の扉まで開きました」
「三……ということは十二トン!」
「十六トンだ、ゴン」
大真面目に即答したゴンだったが、計算にミスがあり、クラピカにあっさりと訂正されてしまうのであった。

 改めて住む世界の違いを実感させられた出来事だったが、それで怯むような四人ではない。友達を試すような真似が気に入らないと言うゴンの言葉を聞き、ゼブロは何かを思いついたかのように守衛室へと戻っていく。四人は後を追い、再び部屋へと足を踏み入れた。

 駄目元で執事室に電話をかけたゼブロだったが、案の定、立ち入り許可が下りることはなかった。それはゴン自身が直接交渉しても変わらず、むしろ何かを得るどころか、執事のすげない態度に感情を逆撫でされたゴンが激昂してしまうという最悪の結果となってしまった。

 普段温厚な者が切れた時というのは特別に恐ろしい。頑なに鍵を渡そうとしないゼブロに縋ることを諦めたかと思うと、今度は、自力で塀をよじ登って侵入してみせると言い始めたのだ。しかし、試しの門から入場しないこのパターンでは結局、ミケに食い殺される未来しか見えない。

 ゴンは釣竿を大きく振りかぶった。そして針がうまく引っかかったことを確認すると、地面から垂直にそびえる壁をゆっくり一歩ずつ登っていく。
「まって!!」
今までずっと黙っていたが叫んだ。先ほど電話口で執事相手に怒鳴ったゴンに勝るとも劣らない大音量だった。ゴンの肩がピクリと震える。
「悔しいけどプライドは捨てよう。キルアのためにも、ゼブロさんのためにも」
今度は打って変わって、真綿のように柔らかく穏やかな声だった。
「もしかして、四人で協力すれば開くかもしれないよ」

 ゼブロの話を聞いているうちに、は気づいてしまったのだ。彼のキルアに対する想いは、使用人の忠誠心という範疇を超えていることに。
 命懸けで友達を助けに行くと言えば聞こえはいいが、十中八九負ける賭けだ。自分たちが死ねば、キルアはきっと心に深い傷を負うだろう。そしてそれは巡り巡って、ゼブロにも返ってくる。誰も得をしない。

 ゴンは壁を登るのをやめて地面に降り立つと、慣れた手つきで釣竿の糸を回収し、皆に向き直った。
「……そうだね。俺ちょっと頭に血が上ってた」
そして今度はゼブロに向き直ると、深く頭を下げる。
「ごめんなさい。おじさんのこと全然考えてなかったね」
きっと今の彼はもう、強行突破なんて無謀な真似はしないはずだ。クラピカ、レオリオ、の三人はほっと胸を撫で下ろし、ゼブロの顔には笑みが浮かんだ。

 の思いつきに倣って、扉の前で横一列に並び、タイミングを合わせて四人が一斉に腕へ力を込める。しかし、いつまで経っても扉が動く気配はなかった。
「……ごめんなさい」
は陰を纏い、深刻な表情で頭を下げた。クラピカは放っておけば土下座でも始めてしまいそうな彼女の肩を気遣うようにポンと叩くと、四人の後ろでずっと様子を見守っていたゼブロに向き直った。
「ゼブロさん。一つお聞きしたいのですが」
「はい。なんでしょう」
「あなたはその腕力をどうやって維持しているんですか?」
ゼブロはしばらく黙っていたが、クラピカの真剣な眼差しに気圧されたのか、観念したように小さく息を吐いた。
「わかりました。教えて差し上げましょう。でもその前に、私についてきてください」

 ゼブロの手によって開かれた試しの門をくぐると、すぐ傍に巨大な生物が佇んでいた。痩せた体に、細くしなやかな月白色の長い毛を携えた大型犬。
「これがミケ……ゾルディック家の番犬です」
手のひらだけでもゴンの三倍はありそうな巨体がゆっくりと起き上がる。立ち上がったそれを前に、は冷や汗が止まらなかった。強引に侵入しようとしたゴンの行いがどれだけ命知らずだったかを改めて思い知らされる。こんな生物に襲われて生き延びられるはずがない。

 それはゴンも同じ思いだったらしい。動物好きなはずの彼の表情からも、と同様に畏怖の念がはっきりと見てとれた。なんの感情も熱も持たない瞳が、ゴンの姿をギョロリと捉えて離さない。
「ゴン君。これを見てもまだ、ミケと戦えますか?」
ゼブロに問いかけられ、ゴンは首を横に振った。
「……こんな動物初めて見た。無理だ。怖い。……絶対に戦いたくない」
包み隠さず吐露されたゴンの心情にゼブロは頷いた。ミケの排除対象の選別基準に主人の命令以外の要素が介入することはない。長年顔を合わせているゼブロですら、入る門が違うだけでためらいなく殺されてしまうのだ。
「これが完璧に訓練された狩猟犬というやつです。今ミケは、初めて見る人間の姿と匂いを記憶しています」
そうゼブロは語った。ミケに至近距離で見つめられている間、四人は生きた心地がしなかった。

ミケと対峙。