No.26 : Brother


 ゴンが気を失った後、対戦相手のハンゾーは自ら負けを認めた。実戦では明らかにハンゾー側が優勢だったが、ゴンの折れない信念と、周りの全てを巻き込んでしまう強烈な人間性に魅了されてしまったのだ。ゴンのことを気に入った――そう彼は言っていたという。
 そして、クラピカ、ハンゾー、ヒソカ、ポックルの合格が確定していき、ついに問題となるキルア対ギタラクルの試合が始まった。

 キルアがゆっくりと相手の様子を伺うように歩み寄ると、ギタラクルは珍しく自分から言葉を発した。
「久しぶりだね、キル」
そう親しげに話しかけたかと思うと、彼は顔に刺さる幾本ものピンを一つずつ抜いていった。彼の痩せこけた頬は程良くなだらかな曲線を帯び始め、紫色のトサカ状の髪型はみるみるうちに長く艶やかな黒髪へと変化していく。最後の一本を抜き終える頃には、顔色も、目の大きさも、顔を構成する要素の全てが別物になっていた。

 すると、先ほどまで余裕綽々だったキルアの様子も一変した。目を見開き、緊張で体は強張り、青ざめた顔に冷や汗が浮かぶ。震える声で「兄貴」と確かにキルアは言った。目の前の男はずっとキルアの兄イルミであることを隠し、ギタラクルという別人になりすましていたのだ。
「オレも仕事の関係で資格が必要だったんだけど、奇遇だね。まさかキルもハンターになりたかったなんて」
試験中ずっと寡黙な人物だったのが嘘のように、饒舌に話すイルミ。ただし何を考えているのかわからない無表情は以前と変わらずだった。
「別にそんなんじゃない。ただの暇つぶしだよ」
ゆっくりと、言葉を選ぶようにキルアは答えた。
「そうか、それなら安心だ」
相変わらずの抑揚のない声でイルミは続ける。
「お前にハンターは向いてない。何も欲しがらず、何も望まない闇人形のお前とは対極にある仕事だからね」

 キルアは拳を握りしめた。ハンターへの適性はどう評価されようと構わないが、自身を心の無い人形扱いされたことには納得がいかない。
「……オレにだって欲しいものくらいある」
「ないね」
「ある!」
詳細を聞こうともしないイルミの言葉を遮るように、キルアは食い気味に叫んだ。兄に対してここまで反発したのは久しぶりだった。
「……っそれに、今望んでることだってある!」
すると、珍しく食ってかかる弟の様子に興味が湧いたのか、イルミはほんの少しだけ耳を傾ける姿勢を見せた。
「へぇ。言ってごらんよ」
試すようなイルミの視線が刺さり、キルアはぐっと言葉に詰まった。思うことはたしかにあるのに、いざ兄を前にすると口が動かない。まるで金縛りにでもあっているかのようだった。
「……」
「どうした? 本当はないんだろ」
固まっている弟を見てどこか嬉しそうにイルミは言う。

 このまま黙っていれば、この試験で見つけたものは全て無かったことになるだろう。そしてまたあの家に戻されて、ひたすら繰り返される殺しと訓練の日々。

 そんなのはまっぴらだった。だからこそ母と兄を刺してまで家を飛び出して来たのだ。飛行船の中で夜景を見ながらゴンに吐露した事は、ほんの少しの誇張はあれど、全てキルアの本心。殺し屋一家の跡継ぎとして操り人形の人生を歩むなんて、外の自由を知ってしまった今、キルアにはいよいよ考えられなくなっていた。
「……もう一度、に会いたい」
飛行船での行いについて改めて謝りたい――彼女はあれ以来触れないようにしてくれているけれど、未だキルアの中にはあの事がしこりとなって残っていた。
「それに、ゴンと……友だちになりたい」
後暗い素性を明かしても、驚かないどころか態度すら変えることなく接してくれた貴重な存在。彼と一緒に居られたら、毎日がどんなに楽しいだろう――。

「無理だね」
イルミの切り捨てるような言葉に、キルアはびくりと肩を震わせた。長年の刷り込みで、どれだけ兄の言葉に納得がいかなくとも体は勝手に反応してしまう。
「お前は人というものを殺せるか殺せないかでしか見ていない。オレや親父にそう教え込まれたからね」
心当たりがあるだけに、キルアには言い返す言葉がなかなか見つからなかった。せっかく何かが見えかけていたのに、ねっとりとしたどす黒いもやに塗りつぶされていく。
「今のお前にはその二人が眩しすぎて測りきれないでいるだけだ。一緒にいれば、そのうち確かめたくなるよ」
――ころせるか、ころせないか。
呪詛のように繰り返される言葉。飲み込まれそうになる。
「違う」
キルアの声に先ほどまでの覇気はない。半ばうわ言のように、なんとか絞り出した一言だった。

「おいキルア!」
その声は、イルミの思念に飲まれかけていた会場の空気を一気に切り裂いた。皆の視線が集中する中、こめかみに青筋を浮かべたレオリオが、今にも兄弟二人の間に割って入りそうな勢いで身を乗り出した。
「兄貴だかなんだか知らねぇが、そんなクソ野郎の言葉に耳を貸す必要はねぇ!」
協会員に取り押さえられながら、レオリオは叫び続ける。
「ゴンと友だちになりたいだ? 寝ぼけんな!」
――お前らとっくにダチ同士だろうがよ!
キルアは大きく肩を震わせた。底の見えない闇に沈みかけていたところで間一髪、彼の言葉に手を掴まれたような感覚。
「少なくともあいつはそう思ってるはずだぜ」
ほんの少しではあるが、光明が見えた気がした。

 しかしそれもつかの間だった。表情はそのままに、腕を組んで困ったように唸るイルミ。嫌な予感。
「……そうだ」
時が止まった気がした。
「ゴンを殺そう」

 ぞくりとキルアの背筋が凍る。まるで心臓にナイフを突きつけられたかのようだった。想像したくなんてないのに、最悪の結末が勝手に脳内で展開されていく。
 手足はあっという間に冷え切ってしまい、もはや感覚がなかった。

兄との再会。