No.15 : Together


 石の床とレンガの壁に囲まれた質素な空間に唯一あるものといえば、何やら説明の書かれたボードと、台座に置かれた足枷だけ。
「ここは二人三脚の道。互いに足を固定したのち、協力し合いながら進まねばならない。君たち二人は運命共同体。ゆえに、片方が死ねばもう片方も失格となる」
がボードを読み上げると、男は無言でテキパキと足枷をお互いにはめていった。の右足と男の左足が冷たい金属の輪で固定される。足枷自体の重さもネックだというのに、説明に死というワードが出てくることから、きっとただ走るだけの試験ではなさそうだ。
「一緒に頑張りましょうね!」
は元気良くそう言って男の顔を見上げるが、男の返事はというと顔をカタカタと鳴らしただけだった。喋る気がないのか、喋れないのか。しかも表情から何かを読み取ることすらできないときた。はこの先の展開に一抹の不安を覚えた。

 だが、の諸々の不安は杞憂に終わった。男のあらゆる能力が凄まじ過ぎたのだ。
 雨のように降り注ぐ矢を全てかわし、坂道を転がり落ちてくる大岩を余裕で振り切り、懲役200年超の極悪犯罪者をあっという間にのしたかと思えば、足の幅より細い鉄棒を易々と渡って――しかもこれを人ひとり抱えながら行ってしまえるのだから、もう絶句ものだ。
 まるで荷物のように小脇に抱えられたは、最後の試練に到達したタイミングで意を決して口を開いた。
「すみません、下ろしてください」
最終課題は二人三脚でのマラソン。きっとこれも、この男なら難なくこなしてしまうのだろうが――は最初から最後まで全て人任せでクリアしてしまうのはどうしても納得いかなかった。

 思えばここに来てから、は己の力不足を実感してばかりだった。マラソンではキルアに助けてもらったし、ゴンがヒソカに狙われた時には援護に行くことすらしなかった。
 そしてメンチと出会い、ハンターという職に対する熱を覚えた。今のにとっては、おんぶに抱っこで手に入れたハンターライセンスなどもはや何の価値もない。堂々と、みんなと肩を並べたいのだ。
「ただ走るだけなら死ぬことはないから、あなたまで道連れ不合格にはならないはずです」
 男はしばらくの方を見つめたあと、進行方向に向き直った。言葉を話さない彼なりの了承の合図だった。

 最後のマラソンはにとって思った以上の過酷さだった。コースの全長は正確にはわからないが、一次試験と同じかそれより長い。そして足枷の重さが足の動きの邪魔をする。 けれど不思議と走るペースには融通がきいた。きっと男が歩幅や足運びの速さをのそれに合わせてくれているのだろう。
 薄暗く長い通路を走り続けること数時間。目の前に小さな小部屋が現れた。奥には扉が見える。どうやらゴールにたどり着いたようだった。

 小部屋に足を踏み入れた瞬間、とっくに体力の限界を迎えていたは足元から崩れ落ちた。しかし、盛大に尻餅をつく前に、ふわりと宙に浮く感覚。男に再度片手で抱えられたは、そのまま扉の前へ手荷物のように容易く運ばれる。
「あ……ありがとうございます」
挙げ句の果てには、そこにあった鍵であっという間に足枷まで外されてしまった。男によって無造作に床へ放られた、もう用無しのそれがガシャンと大きな音をたてた。
「私はっていいます。あなたのお名前は……」
きっとまた顔をカタカタと震わせるだけなのだろうなと半ば諦めつつも、はダメ元で問うてみた。
「……ギタラクル」
なんの感情も映さない男の顔の、口だけがそのように動いた。禍々しい風貌には不釣り合いな、無機質ではあるが澄んだ青年の声がした。

 予想外の展開に驚いたが返事を考えあぐねていると、相変わらずの抑揚のない喋り方でギタラクルは続けた。
「オレは今回、手抜きさせてもらっただけだから」
手抜き。要するに今回の援助は親切心からきたものではなく、試験官の狙い通り真面目に協力プレイなんかしているよりさっさと一人で全てこなした方が手っ取り早いという考えからの行動だと。なるほど、実力のある者からすればその理由は至極真っ当だった。
「ここを出たらもう妙な馴れ合いは無しだ」
ギタラクルはに視線すら向けずそう言い残し、部屋を出ていった。
 はしばらくそのまま呼吸が落ち着くのを待った。床に仰向けに寝転がり、静かに目を閉じる。聞こえるのは、自分の荒い息遣いだけ。
 ああは言われたものの、は彼の行動の端々に見られた非効率的な選択を意識せずにはいられなかった。マラソン前に自分を降ろしてくれたこと。わざわざ名前を明かしてくれたこと。どうしても、今回限りの付き合いと割り切ることはできなかった。

 小部屋の扉を開けると、そこにはがらんと広い円形の大部屋が広がっていた。周囲の壁にも等間隔に扉が並んでいるところを見ると、ゴールした者は一旦この部屋に集まって試験終了時刻を待つのだろう。
「あ、ギタラクルさ……ん……」
中央に見慣れた後頭部を見つけたは、走りながら駆け寄る途中で言葉を失った。彼と一緒に、あの恐ろしい奇術師がトランプをしていたのだ。
「やあ。キミは確か……
「ひぃっ!」
ヒソカに視線を向けられ、は思わずギタラクルの後ろに隠れた。ギタラクルはを匿うでもなく、差し出すでもなく、ただただそこでじっとしている。
「ここに来るまでに何があったんだい。ボクより彼の方がよっぽど恐ろしい見た目だと思うんだけど」
そう言って楽しそうに笑いながら、ヒソカはギタラクルの後ろを覗き込んだ。隠れていたがビクッと肩を震わせる。名乗った覚えもないのに名前を知られていたことで、の恐怖心はより一層強くなっていた。
「心配しなくてもキミは合格だから」
そう言うと、ヒソカはあっさり顔を引っ込めた。
「えっ」
拍子抜けしたが間抜けな声を上げた。
「キミに危害を加えるつもりはないよ」
ヒソカがそう続けると、ガチガチに強ばっていたの体から、面白いくらいにすんなりと力が抜けていく。そのわかりやすい変化を見てヒソカは口角を上げた。
(食べるのはもっと美味しく熟してから……)
クックックと声を上げて笑うヒソカの心の声に気づくはずもなく、はあっさりと彼に心を許してしまうのであった。

ヒソカ克服。