No.10 : Try


 目玉を落とし、鱗を削ぐと、寝かせた包丁をゆっくりと横へ滑らせる。先ほどまでビチビチと抵抗を見せていた謎生物は、あっという間に三枚におろされてしまった。
「へー。器用なもんだな」
隣でまな板と対峙したまま一向にアクションを起こしていないキルアが、感心したように言った。
「ありがとう。でも問題はここからなんだよね」
は更にそこから薄く切り出した身をつまみ上げた。
「この魚が食べても大丈夫な種類なのかわからなくて」
前半戦で調理したグレイトスタンプは食材としてはそこそこ名の知れた生物だったのだが、今回捕獲した謎生物は普通の図鑑には載っていないレア種なのだ。
「だけどの勘が絶対美味しいって言ってるの!」
でも万が一わたしが死んだら、そのときは両親によろしくね。連絡先は鞄に入ってるから。そう不吉なことを言い残して、は謎生物の切り身を食べ――ようとした。しかしそれがの口の中に収まることは無かった。
「あ……」
突然キルアがの腕を引っ張り、そのまま自らの口に誘導したのだ。
「んー、うん。うまい」
キルアはそう言って口の端を上げた。そしてどうやらこれを相当気に入ったらしく、まな板の上の切り身をもう一きれ、今度は自分の手で拾い上げ、口の中に放り込む。やはりの持論どおり、見た目がグロいものほど美味だったらしい。

 ついさっき指先に微かに触れた、唇の柔らかな感触。その余韻がの頬を赤く染めた。しかし原因となった人物はそんなことなどつゆ知らず、今度は黒褐色の魚に手を伸ばしている。それを見てなんだか悔しい気持ちが湧いてきたは、ブンブンと頭を振ってむりやり気持ちを切り替えた。
「ど、毒味してくれたんだ、よね?」
結果的には大丈夫だったけれど、運が悪ければ死んでいたかもしれない。
「あぁ、そんなにかしこまらなくていーよ。オレ、毒には慣れてるから適任だと思っただけ」
一瞬、疑問符が浮かびそうになっただったが、霧の中を走っている時に言われた「ヒソカと同類」という言葉を思い出し、なんとなく納得した。きっと彼には、普通の少年のそれではない、特殊な生い立ちがあるのだ。
「でも助けられたのに変わりはないから。ありがとう」
そう言ってはにっこりと微笑んだ。面と向かってど直球の謝意をぶつけられたキルアはなんだか気恥ずかしくなり、照れ隠しにもう一口、切り身を頬張った。

「よーし。じゃあも自分の役目をこなそうかな」
は気合いを入れ直すと、隣のまな板の前へ移動し、さっそく包丁で魚をおろし始めた。キルアがその流れるような所作に見惚れている間に、ここに来てからずっと持て余していた鶯色の細身の三尾はいつのまにか刺身の盛り合わせへと姿を変えていた。
「お。さんきゅー」
皿に盛られた中の一切れを頬張り、毒がないことを確認したキルアは、にも食べるよう促した。
「んんー。おいしい!」
頬を押さえ幸せを噛み締めているを見て、キルアも自然と顔が綻ぶ。なんだか胸の奥がむず痒いような気もするけれど、不思議と嫌な感じはしなかった。

 味見と称して半分ほど平らげたところでたちは我に返った。――寿司を作らなければならないのだった。
 冷静になって周りを見渡したはあることに気がついた。他の受験者たちが、辿々しいながらも寿司の作り方を実践している!
 クラピカに話を聞くと、どうやらたちが味の検証に没頭している間に、ハンゾーという坊主頭の受験者が寿司の作り方を大声でバラしてしまったというのだ。なんと寿司は彼の出身国の郷土料理らしい。
「結局、遅かれ早かれこうなるんだよ」
そう言ってはレオリオの背中をバーンと叩いた。突然の衝撃に驚いたレオリオは目を丸くして振り向いたが、の姿を捉えると、困ったように微笑み「サンキュ」と言った。

 スイッチの入ったの手捌きはすごかった。まるで手品のように残りの魚をおろし、切り分け、俵型の酢飯へのせる。あっという間に寿司の完成だ。
「わぁ……すごい!」
ゴンは寿司がどんなものかは知らなかったが、が作ったそれを見て、純粋に"美しい"と思った。そして自分の手元に視線を落とすと、酢飯の特大団子を解体し、一口大の俵型に成形し直し始めた。

 は実際に寿司を握るのは初めてだったが、完成形は図鑑で見たことがあるので自信に満ちていた。メンチの前に向かう足取りは軽い。
「あら。ようやくそれらしいのが出てきたわね」
メンチはの手元を見て上機嫌に笑みを浮かべた。球状にした酢飯に頭付きの魚が突き刺さっているもの、魚の口の中に酢飯を詰めたもの、ぶつ切りにした魚と酢飯の混ぜごはん……到底寿司とは呼べないような珍妙なメニューばかり持ってこられていい加減うんざりしていたところだったのだ。ちなみにこれらは口にするまでもなく、全て突き返している。
 細く形の良い手が伸び、皿の上の寿司を攫っていく。は彼女がそれを口に含んだ瞬間、やった、合格だ! と口の端を上げた――のだが。
「んー。ちょーっと酢飯の酸味が弱いわね」
メンチはそう言ってバツの札を上げた。彼女の横でブハラがぎょっとした顔になる。そしてもちろんも例に漏れず、目を見開いて言葉を失ってしまった。
「ほら次ー」
メンチはそう言って、あっちへいけとばかりに右手をひらひらと振った。

 それからは、酢の量やネタの大きさ、果ては握りの強さに至るまであらゆる要素を変えつつメンチに挑んだが、彼女が丸の札を上げることはなかった。
「ネタと酢飯のバランスが悪い!」
「モタモタ握るから体温が移ってる!」
「握りが強すぎ! シャリが口の中で解けない!」
それでもはめげることなく、不貞腐れるでもなく、熱心に試行錯誤を繰り返す。しかし無情にもそのやりとりに終わりが訪れた。
「ワリ! お腹いっぱいになっちった!」
そう言ってメンチは笑い混じりに後ろ頭を掻いた。試験官が満腹になったということは即ち、試験終了ということだ。そして彼女に料理を認められた者はゼロ。

 受験者たちは何度も辛辣なダメ出しをくらったせいでフラストレーションが溜まっていた。そのうえ大して申し訳なさそうでもない彼女の態度が余計に彼らを逆撫でした。
「ふざけんじゃねぇ!!」
建屋の奥の方から、怒号と破壊音が響いた。見ると、一人の受験者が調理台を叩き壊していた。
「オレが目指しているのは賞金首ハンターだ。なんで美食ハンターごときに合否を決められなきゃならねぇんだ!」
その男は近くにあった出刃包丁をひっ掴み、額に青筋を浮かべながらメンチへ近づいていく。しかし彼女はそれに怯えるどころか、嘲笑うような笑みで足を組み替えた。
「いくらゴネたって不合格は覆らないわよ。試験官運がなかったと思ってまた来年頑張ればぁ?」
は、男の血管が切れた音が聞こえたような気がした。
「この女ァいい気になりやがって!」
右足を思い切り踏み込み、男が駆け出した。余裕綽々のメンチへ向かって突き出された、包丁の刃がぎらりと光る――しかしそれが彼女を傷付けることは無かった。横に居たブハラの張り手が、男の身体ごと建物の外へと吹き飛ばしたのだ。
「余計なマネしないでよブハラ」
吹き飛ばされた男は口から血を流し、地面に仰向けに倒れたままピクリとも動かない。先程まで声で加勢していた者達も、すっかり口を噤んでしまった。
「だってあのままだとアイツ殺っちゃってただろ」
なんの感情もこもっていない顔でブハラが言った。彼の言うとおり、「まぁね」と立ち上がったメンチの両手には刃渡り40cmはありそうな包丁が握られている。
「どのハンターを目指すとか関係ないのよ。ハンターたるもの、武術の心得はあって当然」
そこまで言うと、今までずっと涼しい顔をしていたメンチの目に熱が籠る。
「この試験で見たかったのは、未知のものにも立ち向かっていける気概よ」
それは、ただいたずらに受験者を落として楽しむ者には決して真似できない表情だった。


持ちつ持たれつ。