No.11 : Passion


 受験者たちのうち何人かがメンチの気持ちに寄り添い始め、合否に半分納得しかけた時。
「それにしても合格者ゼロとはちと厳しすぎやせんか?」
拡声器の音声が会場の沈黙を切り裂いた。建屋の外から響いてきた声の主を確かめようといち早く駆け出した男たちが、空を見上げて叫んだ。
「あれは……ハンター協会のマーク!」
それに引きずられるように、たちも建物の外へ続いた。そして皆に倣って空を仰ぐと、悠々と泳ぐ飛行船から何者かが飛び降りてくるのが見えた。

 その人物は身一つで地に降り立ち、何事もなかったかのように受験者たちの顔を見回した。あれほどの高さから飛び降りたというのに、怪我どころか着地の衝撃さえ受けていないようだった。
「ご無沙汰しています。ネテロ会長」
メンチが緊張感を滲ませた声で言った。出会ってからずっと尊大な態度だった彼女が初めて見せる姿に、は目を丸くした。

 ネテロ会長。齢百とも噂される、ハンター協会の最高責任者だ。彼の恩情により、先ほどの試験結果は無効とし、場所を移して再試を行うこととなった。
 その新しい試験場所となったのがここ、マフタツ山。ビスカ森林公園内に位置し、巨大な山を縦に割って作ったような形状をしている奇山だ。谷底には深い川が流れており、落ちれば最後、数十キロ先まで流されてしまうことも珍しくはないらしい。つまり、命の保証はないということだ。

 飛行船から降り立った受験者たちはメンチに促されるまま、地面を走る亀裂を覗き込んだ。はというと、谷の深さを確認した瞬間、恐ろしさのあまりすぐさま顔を引っ込めた。
「深すぎて下まで見えなかった……」
そう言って尻餅をついた彼女の腕が小さく震えているのをクラピカは見逃さなかった。そんな彼女にどう声をかけようか考えている内に、メンチが試験の詳細を説明し始めた。

 彼女の話によると、この谷には"クモワシ"と呼ばれる鳥が住んでいるらしい。クモワシは外敵から卵を守るため、谷の間に糸を張ってそれを吊るしておく習性がある。今回の試験内容は、その卵を無事取って来ることだという。
「なーんだ」
説明が終わるや否や、ゴンが安堵の声を漏らした。
「よかった。こういうのを待ってたんだよ」
そう言ってキルアが楽しそうにニヤリと笑う。
「民族料理なんかよりよっぽどわかりやすいぜ」
レオリオはウォーミングアップに足の腱を伸ばし始めた。三人とも、今回の試験内容は楽勝のようだ。でも、先程の様子からするとは――。
「……!?」
クラピカは、柄にもなく素っ頓狂な声を上げた。先程までそこにいたはずのの姿がないのだ。もしかして恐怖のあまり、ひとり飛行船に戻ってしまったのだろうか。
「あ、だ」
ゴンが言った。彼の指差すほうを見ると、ちょうどが崖から這い上がってきたところだった。
「えへへ。ちょっと欲張っちゃった」
そう言って照れくさそうに笑いながら、彼女は鞄の中からそっと二つの卵を取り出した。服や肌はところどころ砂埃をかぶってボロボロだ。
「はえー。さすが食欲の鬼」
キルアが驚きつつもどこか嬉しそうな顔で言った。ゴンはの早業に瞳を輝かせている。
「オレたちも負けてらんないね!」
「そうだな」
「あっ、おい待てよ!」
楽しげに駆け出すゴンとキルア、慌ててそれを追うレオリオ。騒がしく飛び降りていった三人を見送ると、クラピカは再びに視線を落とした。すると同じようにこちらを見上げてくる彼女と目が合う。クラピカはしばし考え、未だ座り込んだままの彼女にそっと右手を差し出した。しっかりと握り返され、ふと笑みが浮かぶ。
「勝手に心配していたんだが、無用だったみたいだな」
しかし、そのまま引っ張り上げようとするが――手にかかる体重が、想定していたそれよりはるかに重い。
「ご、ごめんなさい。いまさら腰が抜けちゃった」
さっきまでは平気だったんだけど……と、後半につれて小さくなっていく声。恥ずかしそうに俯くの姿に、クラピカはとうとう耐えきれなくなった。
「っふ……くく」
突然笑い出したクラピカに驚いたが目を丸くする。その姿さえも今はおかしく感じてしまい、笑いの発作はなかなか治らない。
「く、クラピカは行かなくていいのっ?」
ムッとした顔でが叫んだ。流石に申し訳なくなったクラピカは、無理矢理いつもの落ち着いた姿を装い、と同じ目の高さになるようしゃがみ込んだ。
「そうだな……すまない。不意をつかれて、つい」
そう言って彼は、笑いすぎて目の端に滲んだ涙を拭った。

 他の三人より遅れて谷へ降りていったクラピカだったが、帰ってきたタイミングは四人同時だった。キルアの話によると、油断して糸から落ちそうになったレオリオをゴンが助けたり何だりと、下で一騒動あったらしい。
 谷のあまりの深さに臆してその場に立ち尽くした者、飛び降りたはいいが途中で糸を掴めなかった者、クモワシの攻撃を受けて落ちていった者、崖を登る途中に力尽きた者。70名居た受験者たちは、今回の試験でほぼ半数に絞られた。
 受験者たちが持ち帰った卵は、メンチの手によってグラグラと煮え立つ湯の中へ沈められた。卵が茹で上がるのを待つ間、はそわそわと落ち着かなかった。
「二個持ってきたけど片方誰かに取られたらどうしよう」
「そこまでこの試験に入れ込んでる奴はオマエだけだよ」
不安げなの額をキルアが笑いながら小突いた。卵は全て大きな網に一まとめにされているが、彼の言う通り、他人のぶんにまで手を出そうなどと考える者はいないだろう。皆、試験に合格するため指示に従っているに過ぎないのだ。

 時間経過を告げるタイマーが鳴り、メンチは湯の中から卵の入った網を取り出した。もうもうと立ちのぼる湯気が落ち着くと、できあがったゆで卵が受験者たちに配られていく。
「あ、二個入れました!」
があまりに元気良く主張するものだから、メンチは小さく噴き出した。無事、卵を二つ受け取ったは、満足げな顔でゴンたちの元へ駆け寄る。
「おなかすいたねー!」
「おい、さっき米二合食べ切ってなかったか?」
キルアは信じられないというような顔でを見た。食べたことを忘れているという訳ではなく、ただただ純粋に空腹なのだから恐ろしい。

「全員行き渡ったわね。さ、食べてみて」
卵を持ち帰れなかった受験者たちが恨めしそうに見つめる中、受け取った者はみな、それを一口頬張った。すると、あちこちから驚き混じりの「うめぇ」という声が漏れる。
「おいしい……」
それはも例外ではなかった。感動のあまり今にも泣き出しそうな顔で卵を噛みしめている。
「どう? 誰も食べたことのないような美味しい物を発見したとき、そこには、有名な手配犯を捕まえたり財宝を手に入れた時にも劣らない、喜びや感動があるわ」
そう言いながらメンチはぐるりと周囲を見回したあと、先ほど調理台を破壊し、自身に喧嘩を吹っかけてきた男、トードーに向き合って続けた。
「だからこそあたしたちは、美食ハンターってものに命かけてるのよ」

 メンチはトードーに卵を手渡し、それを食べるよう促した。崖に飛び込むことすらできなかった彼はしばらく悔しそうに卵を睨みつけていたが、いよいよ観念したのか一口かじり、そして言葉を失った。あれだけ馬鹿にしていた試験官に、ハンターとしての資質だけでなく、料理の味でまで打ちのめされたのだ。
「……来年またくる」
なんとかそれだけ絞り出したように言うと、トードーは重い足取りで飛行船に戻っていく。その姿は、凶器を持って試験官に刃向かったときの彼とはまるで別人だった。
「メンチさんかっこいい!」
「ねー!」
ゴンの賞賛に、も熱の篭った声で深く同意する。メンチの美食ハンターに対する情熱が、食というものの素晴らしさが、一人の受験者の心をああも大きく動かすとは。
は、今までなんとなくで追っていたものが、自分の中で確かな目標に変わっていくのを感じた。

今度はクラピカと二人の世界に入りました。そして二次試験終了。