No.9 : Fish


 森を駆け抜けること数分。微かに前方から水の流れる音が聞こえてきた。
 はもういい加減、限界だった。体力ではない。空腹がだ。湿原の巨大生物を食べようとしてはキルアに止められ、グレイトスタンプの味見も妨害された。目の前に何度も美味しそうな肉が現れるのに、一口も味わえていない。
 川のせせらぎが聞こえ始めてからすぐに、木々で埋め尽くされていた視界がパッと開けた。陽の光を反射してキラキラと光る水面。流れる水は、川底の石がはっきり見えるほど澄んでいる。
 今度こそは、とは拳を握りしめる。頭の中は寿司のことでいっぱいだった。

 川岸に着いた五人はそれぞれ距離を取り、各々別の方法で魚の捕獲を開始した。ゴンは一次試験の時からずっと持っていた釣り竿で。キルアはその動体視力と反射神経を活かして手掴み。クラピカは浅瀬で罠を張り、レオリオは上半身裸になって素潜り。
 はというと、ゴンにスペアの針と糸を借り、自作の釣り竿で魚が掛かるのをじっと待っていた。しかしいくら待てども待てども、ウキが沈む気配はない。その間にも鳴きわめく腹の虫。
「あぁもう……限界!」
は決して気が短いほうではない。けれども、何度もお預けを食らったせいで我慢がきかなくなっていた。垂らしていた糸を回収し釣り竿を石の上に置いたは、準備運動もしないまま川の深間へ勢いよく飛び込んだ。

 空腹の極限状態だったはあっという間に二匹の魚を捕獲し、川から上がった。右手には、光沢のある黒褐色の魚。左手には、筒のような体で片側には尾ひれ、もう片側の先端に大きな目玉がギョロリと一つだけついている、魚と呼べるのかわからない謎の生物。見てくれはとても気持ち悪いが、グロい奴は美味いというなりの持論のもと、持ち帰ることにしたのだった。

 捕まえた魚を携帯用の網に収めていると、川の上流の方からレオリオが歩いてくるのが見えた。
「あっ! レオリオ!」
上機嫌のは、釣果を報告するように持っていた網を高く掲げた。しかしレオリオはの姿を捉えた瞬間、驚いたように目を見開き、すぐにフイっと視線を逸らした。想像していたものとは違う反応に、首をかしげる
「あー……」
目の前まで歩いてきたレオリオはそう言い淀み、頭をガシガシと掻いた。そして持っていた鞄の上の上着を掴んだ。突然鼻をかすめたオーデコロンの香りに驚いてはレオリオの顔を見上げたが、彼は決して視線を合わせようとはしなかった。
「それ、着とけ」
ぶっきらぼうに言うレオリオの頬は少し赤みを帯びていた。
「うん」
肩に掛けられた、男物の黒いスーツの上着。言われた通りに袖を通してみると、袖も裾も長くてブカブカで、まるでコートのようだった。そして自分の姿を見下ろしてみて初めて気づいた。ずぶ濡れの服がピッタリ張り付いて、身体のラインを強調してしまっていたのだ。
「ありがとう、レオリオ」
そう言って上着の前ボタンを閉めると、レオリオはようやくこちらを見てくれた。
「おう」

 レオリオもなんとか魚を捕まえられたらしい。どれも手のひら大のサイズで可食部は少なそうだが、寿司に使うだけならば十分だ。
 もと来た道を二人で走る。鬱蒼と茂る木々の間を駆け抜けながら、は先ほどの美しい小川のことを思い出していた。あれだけ綺麗な水に住む魚だ――味への期待が高まる。
「おなかすいたー!!」
森に響く叫び声。とうとうは本音を抑えきれなくなっていた。すぐ後ろを走っていたレオリオが小さく噴き出す。
「スシを食うのはお前じゃなくて試験官だろ」
尤もなことを突っ込まれ恥ずかしくなり、えへへ、と笑いながらスピードを上げる。ゴンたちは無事、魚をゲットできただろうか?

 森を抜けるとすぐ、前方に試験会場の建屋が見えた。入口の前には、見知った三人の顔。
「ゴン! キルア! クラピカ!」
嬉しそうに名を呼び手を振りつつ駆け寄るの姿を見るやいなや、三人はそれぞれ三者三様の反応を見せた。
「よかった、無事に釣れたんだね!」
の右手の網袋を見て安堵するゴン。
、その上着……」
まるで汚らわしいものを見るかのような目で、の服装を改めて確認するクラピカ。
「加齢臭がうつるんじゃねーの?」
頭の後ろで手を組み、ニヤニヤと笑いながらふざけるキルア。
「オレはまだ10代だっつってんだろーが!」
後から追いついて来たレオリオがキルアをど突こうとするが、あっけなくかわされてしまうのだった。

紳士なレオリオ。