No.4 : Impostor


 出口が近いのだろう、かすかに風の音がする。は油断してつまずきそうになった。意識していないと、段の高さまで足が上がらない。肺が痛い。喉が焼き切れそうだ。
 しだいにサトツの歩くスピードが落ちてきた。走っていないと追いつけないほどだったのが、かけ足程度になり、いつのまにか、たちが先頭を歩いている。汗も乾き、少しずつ呼吸が落ち着いてきた。しかし、足が石でできたように重い。こけないように、一歩一歩踏みしめるように歩く。
 視界が明るくなってきた。風が、の前髪を揺らした。嬉しくて、疲れているはずなのに、自然と足早になる。そのとき、ゴンが勢いよく走りだして叫んだ。
「出口だ!」

 湿気を含んでねっとりとした空気が頬を撫ぜた。普段なら不快なものだが、火照った体には風というだけで気持ちいい。ほっとして、はその場にへたり込んだ。足がじんわりとだるい。
「まだマラソンは終わってないみたいだな」
そう言って周りを見回すレオリオにも倣う。木々の集まりと大きな水たまりがポツポツとあるだけの、だだっ広い湿原がずっとむこうのほうまで続いていた。確かに、ここで試験が完結するようには思えない。
「ま、残りの受験者がそろうまでしばらく休憩だな」
そう言ってレオリオはポンポンとの頭を撫でた。
「レオリオって、なんかお父さんみたい」
ふと思ったことを口にすると、うしろから、大きくふきだす音が聞こえた。見れば、クラピカとキルアが腹を抱えて笑っている。そして横には、ショックでがっくりと肩を落としているレオリオ。
「オレはまだ19だぞ……」
そんなに老けてるのか、と小さくつぶやきながら自分の顔に手をやっているレオリオがどこかかわいく思えて、は耐え切れずにふき出す。両の頬をぶにっとつままれた。
「なぁに笑ってんだよ」
「ご、ごめんなひゃい」
 そうこうしているうちに、周囲に続々と参加者たちが集まってきた。背後で錆びた音を鳴らしながらシャッターが下りはじめる。あと数秒のところで間に合わなかった男の叫び声がトンネルの向こうに吸い込まれていった。

 は、もしキルアがいなかったら自分もああなっていたのだと考えて身震いした。サトツが受験者たちの前にゆっくり歩いて行くのを目で追いながら、大きく息をはき、手のひらに爪が食い込むほど強く、こぶしをぎゅっと握りしめる。
「ここはヌメーレ湿原。通称、詐欺師のねぐらと呼ばれています」
鳥のようなギャーギャーという鳴き声をバックに、サトツが淡々と説明を始めた。思ったとおり、ここを通って二次試験会場まで向かうようだ。この湿原にいるのは皆、獲物を欺いて捕食する能力に長けた、文字通り詐欺師のような生き物ばかりらしい。
「騙されると死にますよ」
何の感情もこもっていない声でサトツは言った。
「嘘だ!」
顔面に擦ったような傷を負い、薄茶色の包みをもった男が、人混みをかきわけサトツと対峙した。
「そいつは偽者。オレが本当の試験官だ!」
とたん、周囲がざわめき始めた。皆の視線が二人の間を何度も往復する。男が地面に放った包みから痩せこけた猿の死骸が現れると、受験者たちのサトツに対する不信感が明らかな疑いへと変わった。猿の顔が、試験官サトツのそれと瓜二つだったのだ。
「そいつはヌメーレ湿原に生息する人面猿。人に化けて、お前ら受験者を皆殺しにするつもりだ!」

 怒りをあらわにした受験者たちが、サトツの周りを取り囲む。屈強な男たちの壁に阻まれて、からは完全に彼の姿が見えなくなった。
 だがはどうも腑に落ちなかった。ハンター試験の試験官ともあろう者が、試験会場にいる野生の動物ごときにやられるとは、どうしても思えないのだ。どうやらクラピカも同じ考えらしく、と視線が合うと彼は小さくうなずいた。
 が声を上げようとしたときだった。あたりがしんと静まりかえり、誰かの倒れる音がした。人ごみの間をすり抜けて中央に出たは、試験官が偽者だと騒ぎ立てていた男が仰向けに転がっているのを見た。顔面に三枚のトランプが刺さっている。一方、試験官サトツの両手にも、三枚のトランプが納まっていた。周囲の視線の先をたどると、気味の悪い笑みを顔面に貼り付けた、奇術師のような男が、幾枚ものトランプを手で弄びながら立っていた。
「な、何しやがる」
レオリオの顔は青ざめていた。
「こうするほうが、早いでしょ」
男は悪びれた様子もなく言って、トランプの束の中から一枚を抜き出した。そして右方向へ放るように投げられたそれは、隙を見て逃げようとしていた人面猿の背中に見事突き刺さった。あのとき包みから出てきた猿は死骸ではなく、今回の騒ぎを企てた張本人だったのだ。
「これで決定。ボクらの目指すハンターともあろう者が、あの程度の攻撃をかわせないはずないもの」
確かに一番わかりやすく、簡単な方法かもしれない。でも、自分なら実行に移そうなどとは考えもしないような、異常な手段だ。自分たちと同じ受験者の中にこのような者がいるなんて思いもよらなかったは、彼と目が合いそうになり、あわてて輪の中から飛び出し、彼から見えなくなったところで大きく息を吐いたのだった。

ヒソカ警戒中。