No.3 : First


 風のせいで顔の上にかぶさってきた髪をどける。ずるいぞ、なんて声がうしろからちらほらと聞こえてきたりしたけれど、にそんなことを気にしている余裕などなかった。これはルールにかなっているのか、とか恥ずかしいとかではなく、純粋に、怖い。
「おおおおろして」
やっとのことでそう言ってキルアを見上げると、意地の悪い笑みが返ってきた。
「今離したら体が地面に叩きつけられるけど」
「うえっ? い、いやだ!」
けっきょくに拒否権や選択権などなく、そのまま手荷物のような気軽さで運ばれてしまう。はぎゅっと目を瞑って「キルアの腕が疲れますように」とゼロに近い可能性へ賭けることにした。

「うわー、かっこいい!」
まさか自分に言ったわけでないとは思うが、その声は確実にこちらに向けてのものだった。は閉じていた目を開けて、またキルアの顔を見上げてみた。あ、そういえばたしかにかっこいい。
「おいガキ、きたねーぞ。反則じゃねぇのか!」
その野太い叫びもぜんぶまとめてキルアに向いているようだった。は、さっきの“かっこいい”はキルアのスケボーのことだと今になって気づいた。テストは原則として持ち込み自由なのだよと、やけに丁寧な口調で男性を諭している声も近くから聞こえる。頭を起こしてキルアの肩越しに斜めうしろを覗き込むと、黒い髪の少年、金髪の青年、黒いスーツのおじさんという、年齢も外見もばらばらな三人組がすぐ後についていた。
「きみ、名前は?」
横に追いついてきた黒い髪の少年へ、のかわりにキルアが話しかけた。
「オレはゴン。ねぇ、ところで、なんで女の子を抱えてるの?」
くりくりとした、男の子にしてはめずらしいまんまるの瞳がの顔を捉えた。
「これさ、人形なんだ」
キルアの言葉で、黒い髪の少年……ゴンの目がさらに大きくなった。ついでにも驚いてキルアの顔を見上げた。
「え、うそ!」
だってこの子動いてるよ! と言いながら両手をわたわたさせている必死なゴンと、涼しい顔をしているキルアとを見比べる。えっと、が人形?
「うそ」
言った瞬間ふきだして、キルアは走りながら大爆笑していた。
 自己紹介をすませたあともキルアはゴンを何度かからかって遊んでいた。うそをつくのがうまいキルアと単純なゴンのやりとりは見ていてとてもおもしろかったが、自身も何度かだまされそうになり、あわてて頭を振る姿にまたキルアは笑うのだった。
 楽しそうな三人の様子を見て、金髪の青年クラピカと実年齢より大人びた風貌のレオリオは顔を見合わせて笑みをこぼしていた。

 最初は大きな集団の中で走っていたキルアたちだったが、いつのまにか周りには数人の参加者しか見えなくなっていた。そしてみんな一様に、苦しそうな顔をして顔中汗まみれだ。そしてこのグループの中にも一人。
「レオリオ、大丈夫? すごい汗の量だけど……」
が心配して声をかけるが、レオリオは無理して笑うような余裕すらもないらしく、小さく頷いただけだった。ゴンはまだまだ元気そうで、クラピカもしっかりと規則正しい呼吸をしている。キルアにいたっては、とちゅうでみんなに合わせてスケボーから降りたにもかかわらず息切れさえしていない。も調子はよかったが、それはキルアに抱いて運んでもらっているからだった。レオリオが今にも脱落しそうなのに、自分だけ楽をしている。さっきまではなんとも思わなかったが、仲間内に苦しそうな人がいれば心境は変わってくる。
「キルア、やっぱり自分で走る。だからレオリオを」
言い終わらないうちに、キルアはプイと顔をそむけた。
「やだよ、オレ。オッサンなんか抱くの」
レオリオの顔が嫌そうに引きつったのをは見た。が何を頼もうとしていたのか理解したクラピカは、こらえきれずにふきだしてしまい、それがゴンにも伝染した。
「オレだってお前にさわられるくらいなら脱落したほうがマシだ!」
に変な気遣いをされ、キルアに汚いもののような扱いを受けたことが相当癪だったらしい。レオリオは「だからって簡単に脱落してやるわけじゃないけどな!」と叫び、今までよりもしっかりした足取りで先頭を走り始めた。

 調子を取り戻したレオリオを見て安心したは、やはり自分の足でゴールまで走ることにした。キルアは「また苦しくなったら言えよ」と言っての走るペースに合わせてとなりに並んだ。彼の気遣いはとても嬉しかったが、甘えてばかりいると自分がだめになっていく気がして、は、なるべく頼らないようにしようと心の中で誓った。
 前方に階段が見えた。試験官のサトツは今までと変わらないすべるような歩きで進んでいく。どうやらここから上りになるらしい。
 いよいよ周りに人がいなくなってきた。少し後ろのほうにレオリオとクラピカ、となりにはキルアとゴン。下を見ると、床にはいつくばって動かない志望者たちがそこらじゅうに転がっていた。
「あんまり下見てるとバランス崩すぜ」
そうキルアに言われて、は視線を前方に移した。黒いスーツを着たサトツの背中と、どこまで続くのかわからない、長い階段。もう、そこらのビルならば最上階まで来ていそうなくらいは走ったはずだ。その証拠に、最初は肩と肩がぶつかりそうなほどひしめき合っていたいかつい志望者たちが、今では階段のはるか下のほうでバテている。しかし、キルアのおかげで体を休めることができたにはもう少しだけ、体力が残っていた。

みんなとの出会い。