tune 8 : believable power


「美しくなきゃ、生きている意味なんてない……」
ハウルは力なくそう言った。今のハウルからは、いつもの彼らしさがまったく感じられない。いくら彼が弱いといっても、髪の色一つでこんなに取り乱してしまうなんて……。それに、女の子にふられたということは、少なくとも、ハウルはその女の子を好きだったということだ。なぜだろう。ハウルが誰を好きになろうと私には関係ないはずなのに、胸の奥がざわざわする。
「私は生まれてから一度だって美しかったことなんてない!」
びっくりした。ソフィーさんがこんなに大きな声で叫ぶなんて。ソフィーさんは叫んですぐに、城の外へと飛び出して行ってしまった。外はものすごいどしゃぶりで、早く帰ってこなければ風邪をひいてしまうかもしれない。
「僕、ソフィーを連れ戻してくる!」
マルクルはそう叫ぶと、ソフィーさんの後を追って、激しい雨の中へと駆けていった。私はそれを見送り、ハウルをなんとかしようと彼に目を向けて驚いた。さきほどからは考えられないくらい、緑色のねばねばの量が増している。
 私は、お風呂にお湯を送ってとカルシファーに伝えると、ハウルを背負って階段を登った。緑色のねばねばで白いワンピースは汚れるし、いくらきゃしゃとはいえ私からしてみればハウルはじゅうぶん重いし、ハウルが好きだった女の子の話がものすごく気になってむしゃくしゃするしで全然いいことなんてないけれど、でも。心から、ハウルを助けたいって思った。いつも助けられてばかりの私が、やっと彼を助けられると思った。……階段を登っているとちゅうで彼のタオルが落ちた時は、力が抜けて倒れそうになってしまったけれど。

 階段をすべて登りきったところで、やっとマルクルが帰ってきた。ソフィーさんともどもずぶぬれで、二人の体が少し心配だ。二人は、私がハウルを二階まで運んでいたことにものすごく驚いていて、口を大きく開けたまましばらく固まっていた。
 私でも、いまさらながら驚きだ。自分よりも大きいはずの男の人を背負って、十段以上ある階段を登りきるなんて。運んでいた時は何も気にしていなかったが、後から考えてみればすごいことだと思った。
 すぐにマルクルが階段を登ってきたので、ハウルのお風呂のことは彼に任せた。いくらなんでも、私がそれをするのは……むりだ。
 これで一件落着、と思ってため息をついた矢先、暖炉前のイスからお風呂にまで続く、緑色の跡が視界に入った。私たちはその後、大忙しだった。

 そうじが終わってからすぐに服を着がえて、私はハウルの部屋に向かった。ハウルは私たちの苦労も知らず、気持ちよさそうにぐっすり眠っている。私はイスを持ってきてベッドの隣に腰掛け、ハウルの寝顔をじっとみつめた。
 ずっと金色だった髪の毛が、今は黒く染まっている。ついさっきまでは、オレンジだった。金色もいいけれど、オレンジでも黒でもいい。ハウルだったら、髪の色が何色だって構わない。私はそう思うのに、本人はそういうことにとても神経質で。もし私があの時、ソフィーさんと同じように彼をフォローしたら、ハウルは思い直してくれただろうか。
 私はずっと、そんなことを考えていた。

「ハウルの具合はどう?」
とつぜんドアが開いて、カップを持ったソフィーさんが部屋に入ってきた。私は何時間もずっとボーッとしていて、そんな気遣いなんかぜんぜん思いつかなかった。やっぱりソフィーさんって、すごい。なんだか、ここはソフィーさんに任せたほうが適任な気がして、私はその場を去ろうとした。
「行かないで、
また、引き止められた。前とは違って、今ここにはソフィーさんもいるのに、それなのに私を必要としてくれるの? ハウルが私を呼んでくれたことが嬉しくて、頬が紅潮した。私は、ベッドの横のイスにふたたび座った。
「ホットミルクを持ってきたの」
「いらない」
ハウルがそう言って断った時、部屋にある小物の一つがキラリと光った。ハウルが揃えた、魔女よけの小物だ。
「荒地の魔女が僕を探している……」
そう言ったハウルの顔は、本当に怯えている者の表情だった。
「ものすごい部屋ねぇ」
ソフィーさんは部屋をぐるりと見回しながら言った。私が最初に言ったことと同じだ。あいかわらずハウルの部屋は小物でごちゃごちゃしていて、それ以外にあるものといえば数冊の本ぐらいだった。
にはもう言ったけど……この部屋にあるガラクタは全部、魔女除けなんだ。僕は、本当は臆病なんだよ。いつも荒地の魔女に怯えてる」
ハウルが魔女に怯えていることは、前から知っている。でも、なんで荒地の魔女に狙われているんだろう。そう思った時には、すでに手が動いていた。
『ねぇ。どうしてハウルは荒地の魔女に狙われているの?』
「……面白そうな人だと思って僕から近付いたんだ……それで、逃げ出した。恐ろしい人だった。……そしたら今度は戦争で王様から呼び出しがかかった。ジェンキンスにも、ペンドラゴンにも……」
ハウルが、戦争に……。もしかして、いつも出かけている先は、戦争だったのかな。だとしたら、ハウルはそうとう辛い思いをしてきたに違いない。だって、ハウルは人を殺すことや戦争を好むような人じゃないから。
『……王様の話、断れないの?』
断ってほしい。ハウルに、辛い思いをしてほしくない。心の中はそんな気持ちでいっぱいだった。ハウルはそのままの体勢で、部屋の壁に貼ってある紙を指さした。
「あれ。魔法学校に入学する時誓いをたてさせられてる」
ハウルはそう言ってうつむいてしまった。

「……ね、ハウル! 王様に会いに行きなさいよ!」
ソフィーさんが突然声をあげた。いいことを考えついたとでもいうように、瞳をキラキラと輝かせている。反対に、ハウルはものすごく嫌そうな表情だ。
「えー!」
「はっきり言ってやればいいの。くだらない戦争はやめなさい、私は手伝いませんって!」
顔をしかめているハウルに、ソフィーさんはどんどん自分の考えを語り始めた。最初は驚いたが、ソフィーさんの熱意を感じて、なんだか私もいい考えだと思えてきた。
「ソフィーはあの人たちを知らないんだ」
そう言ってため息をつくハウルの目の前に、私は走り書きをした紙をつきつけた。
『みんなのことを考えるのが、王様でしょ?』
ハウルはすぐに、パッと顔を輝かせて起き上がった。私たちの思いが、伝わったのかな。
「そうかぁ! が代わりに行ってくれればいいんだ」
一瞬、自分の耳をうたがった。
「僕のこと、弱虫だしすぐ逃げ出す奴だから、きっと役には立たないって言ってきてよ」
ハウルの役に立てるのは、嬉しい。ものすごく。でも、私は言葉をしゃべることができない。筆談なんて、ぜんぜん説得力がないから、絶対にむりだ。
「だいじょうぶ、ソフィーも一緒に行くから」
ハウルは、すぐにそうつけ加えた。とつぜん自分の名前をあげられて、ソフィーさんは目を丸くしている。しかし、もうすでにハウルの中では決定事項になっているらしく、反論の余地はなかった。

 ソフィーさんは、やっぱりあの使い込んだ帽子を被っていくようだった。私はというと、ソフィーさんが昨晩洗濯してくれたワンピースをハウルに魔法で乾かしてもらって、それに着替えた。誰に言われたわけでもなく、これは私の希望。このワンピースを着ていると、なんだか落ち着くのだ。
 それから今度は、マルクルに買ってもらったブレスレットをつけた。すると、ハウルがそれに興味を持ったようで、それをどうしたのかとたずねてきた。
『マルクルがくれたの。綺麗でしょう?』
ゆっくりと口を動かしてブレスレットを透かして見せると、ハウルはにっこり笑ってこちらに近づいてきた。
「じゃあ、これは僕からのプレゼント」
ハウルの手が、私のそれに触れた。指に何かがはめられる。見てみると、そこには綺麗な指輪が光っていた。でも指輪をプレゼントされたことよりも、ハウルとの距離のことが気になってしまう。息がかかるほどに、近い。血が頭に上ってパンクしそうだ。
「お守り」
至近距離でそう、微笑まれて。ハウルはふとんにくるまっていて、雰囲気もなにもあったもんじゃないのに。
「なんか、ぜったい上手くいかないような気がしてきた」
ソフィーさんがポツリとそう呟いていた。

ハウルを運ぶことができたのは、おそらく、かじ場のばか力。