act 4 : clumsy lady and skillful magician


 ソフィーはハウルの耳からぶらさがっている青い宝石に見とれていましたが、はっとして次々に卵を手渡し、ここに来た理由を考えました。そして、今までに見た場内の様子から、いい口実を思いつきました。
「何言ってるんだい、あたしはおまえさんの新しい掃除婦じゃないか」
「それ本当? 誰がそんなことを?」
ハウルは片手で卵を割っては、殻をまきのあいだにほうりこみながら聞き返しました。まきのあいだではどうやらカルシファーが、その殻をがつがつ飲みこんでいるようです。口を開きかけたソフィーをさえぎり、が会話に割って入りました。
「あたしよ。だって彼女はとても優秀な掃除婦なの! しかも、ここにおいてあげるだけで無償で仕事をしてくれるらしいわ!」
「そうさ、あんたみたいな腹黒い奴をまっ白にするのは無理でも、この城の掃除くらいできるさね」
二人の息はぴったりです。ソフィーは親指を立て、はウインクをしてお互いに合図を送りました。しかし嬉しそうな二人とは裏腹に、マイケルはなんだか不機嫌そうです。
「ハウルさんは腹黒い人じゃありませんよ」
「いや、腹黒いとも。マイケルはぼくがどんなに悪い奴か、うっかり忘れてるんだ」
マイケルの講義に、話題の本人が冗談ぽく反論しました。は二人のやりとりを聞いてブッとふきだして大笑いしています。それを横目で見たハウルは肩をすくめ、ソフィーにあごをしゃくってみせました。
「どうしても仕事がしたいんなら、おばさん、ナイフとフォークを探して、台の上を片づけてよ」

 でも、ソフィーが手を出さなくても、マイケルが作業台の下にあった丸椅子をひっぱりだし、横のひきだしからナイフやフォークを出し、台の上の物をひとまとめにしてすきまを作りました。ソフィーは、ハウルに歓迎されるとはもちろん思ってはいませんでした。でも朝食のあとも居残っていいことになったのかどうか、まだはっきりしません。しかし、いざというときはがなんとかしてくれるでしょう。マイケルは手が足りているようでしたから、ソフィーは足をひこずっていって杖を手にとると、ゆっくり、これ見よがしに物置にしまいました。ハウルが見ていなかったので、「よかったら、一ヶ月ためしに雇ってくれてもいいよ」と声に出して言いました。ハウルはそれには答えず、煙を上げているフライパンを持って立ちあがり、「マイケル、皿をくれ」と言っただけでした。解放されたカルシファーはワアッと喜びの声をあげると、煙突高く炎を上げました。

 ソフィーはもう一度、魔法使いに駄目を押しました。
「もしこれからひと月ここを掃除するんだったら、城の残りがどこにあるか知っておきたいんだけど。昨日見つかったのは、この部屋と浴室だけだった」
驚いたことに、マイケルとハウル、までもが大声で笑いだしました。ハウルはつかみどころがない上にどんな質問にも答えるのがいやなようで、ソフィーはいったん彼への質問を中断し、こんどはへとその矛先をむけました。
「ねえ、どうなの。あなたも知ってるんでしょう?」
ベーコンを頬張っていたはすぐにオレンジジュースでそれをのどの奥に流しこみました。彼女の目の前には特別に野菜の盛りあわせがおいてあり、どうやら美容に気を使っているようです。飲み物も、コーヒーではなく手作りオレンジジュースといった徹底ぶりでした。
「他に部屋なんてないのよ、ソフィーが見たところと、あとは二階に寝室が三つあるだけ」
ハウルの許可を待たずに、はあっさりと全て説明してしまいました。ちらっとむけられた彼の視線を無視するかのように、野菜サラダをもくもくと頬張っています。マイケルは二人の様子を気にしていて、フォークをベーコンにつき刺したまま食事も忘れて固まっていました。
「城のように見せかけて、カルシファーの魔法で動かしてるだけなの。これ、本当はポートヘイヴンにあるハウルの古い家にすぎないのよ。城の中に本当にあるのは、その家にある部屋だけ」
「そんな、ポートヘイヴンは何マイルも海のほうじゃないか! このばかでかくて醜い城を丘じゅう動かして、<がやがや町>の人を死ぬほどおどかすなんて、どういうつもりさ?」
ソフィーのはっきりしたもの言いが気に入ったのか、はさっきとはうって変わってニコニコしながらトマトを口に運んでいます。マイケルは、結局すべてしゃべってしまったを見てため息をつくと、ずいぶん止まっていた手をようやく動かして食事を再開しました。

「あんたはずいぶんはっきりものを言うんだなあ、職業柄、みんなに力と邪悪さを印象づけたかったんだ。それに、王様にぼくのことをよく思われたくないんだ。おまけに去年、とても力のある奴を侮辱して怒らしちゃってね。だから、両方を避けたいんだ」
誰かを避けるにしては、ずいぶんとおかしなやり方です。でも、魔法使いの考え方と言うのは普通の人とは違っているのでしょう。すぐにソフィーは、この城にはもう一つ変わったところがあることを発見しました。三人が食べ終え、マイケルが作業台の脇のぬるぬるした流しに皿を積み重ねていたときのことです。誰かが扉をたたく、大きなこもった音がしました。

「キングズベリーの扉!」
カルシファーの炎がパッと大きくなりました。上の階へ行こうとしていたハウルよりも早く、が扉にむかいました。扉の上の横木に、四角い木製のとってがはめこまれていました。四つのへりに、それぞれ違う色のペンキが塗ってあります。ちょうどそのときは、緑色の面が下になっていました。するとはとってを動かし、赤い面を下にしてから扉を開けたのです。外に立っていたのは、ごわごわの白いかつらの上に大きな帽子をかぶった人物でした。真紅と紫、金色の衣装をつけ、小型の五月柱のような、リボンがひらひらする杖をかかげていました。男がお辞儀をすると、それといっしょに、クローブとオレンジの花の香りがします。
「これはこれはお美しいご婦人、いえ……国王陛下にあらせられましては、二千足の七リーグ靴に対しまして、おん礼を申しあげ、報酬をお遣わしになられました」
男は個人的なことを口走りそうになってしまい、一度大きく咳払いをしてから、本来の目的である口上を述べました。緊張した表情をつくってはいますが、頬の赤みは隠しきれていません。男のうしろには馬車が控えています。そのうしろには、極彩色の彫像のある壮麗な家並や、丸い塔や尖塔、円屋根がちらりと見えます。
「ハウルにはわたくしが渡しておきますわ、ありがとう」
扉の外の男がチャリンチャリンと音のする細長い絹製の財布を手渡すと、はそれを受け取って優雅な笑みをうかべました。男はいよいよ真っ赤に染まってしまった頬を隠すかのように、足早に馬車へと駆けていきました。馬車へと手を振って男を見送り、扉を閉めてうしろへふりむくと、ハウルが腰に手を当てて呆れたように言いました。
「君はこの城の受付嬢か何かかい?」
「……違うわ、この城のお金の管理人よ」
はニヤッと笑って財布の中からお札を数枚ぬきとると、それをハウルの手に握らせました。ハウルは文句を言いたそうに口を開きかけましたが、すぐに黙って階段を上っていってしまいました。ソフィーは食器を流しに運びながらその様子をちらちらと気にしていました。
「王様の依頼をこなしたのはハウルでしょう、あんなことをしてよかったの?」
は絹の財布を作業台の上でひっくり返し、中身を確認しながら言いました。
「あいつに全額を渡すと、限度ってものを知らないからすぐに使いきっちゃうのよ。おかげでこの城の貯金はいっさい貯まらないし、へそくりなんてものもない。マイケルが受け取ればハウルに逆らえずにお金を渡しちゃうし、あたしが応対・管理するのが最善の策なの」
はそう言って財布を服の中にしまうと、洗い物をするために袖を捲りました。

 自分の部屋に戻っても何もすることのないハウルは、お風呂に入ろうかと考えながらベッドの上に寝そべっていました。すると、下の階からすさまじい物音との悲鳴が聞こえ、一瞬のうちに血の気が引きました。あわてて部屋を飛び出して階段を駆け下りると、が流しの前で腰を抜かしていました。
! いったい何があったんだ、不審者は魔法で入れなくしてあるはずなのに!」
近くに寄ろうと足をふみ出すと、靴の下で何かがパリパリと音をたてました。見ると、ガラスの破片のようなものがそこらじゅうに散らばっていて、それはのまわりも同様でした。
「あの、お皿を洗ってたらね、その、落としちゃって、それに驚いて、積み上げてたお皿も倒しちゃって……」
は恥ずかしそうにうつむきながら、ことのあらましを説明しました。ハウルは呆れてものも言えなくなりました。家中のお皿をほとんど割ってしまったの不器用さももちろんですが、彼女に皿洗いを任せたソフィーにも。もっとも、彼女はがとても家事が苦手だということを知らないので、注意のしようがないのですが。

「ごめんなさい、お皿ほとんど割れちゃった……でも弁償ならするわ、それに自分で買ってくるし」
さすがのでも、人様の家のお皿を割っておいて、しらばっくれたり強気にでるというつもりはないようです。ハウルはため息を一つつくと、の腕を掴んで持ち上げました。
、いつまでそんなところに座ってるんだい、ほら、立って……出血しているじゃないか」
「ん、ほんとだ。気づかなかったわ」
一筋の赤が白いふくらはぎを伝いました。しかし傷は浅く、破片が傷口に入り込んでいるわけでもなさそうです。ハウルは、そのまま椅子のところまでの腕を引っ張っていきました。
「止血をしよう、さあ椅子に座って……」
はうながされるまま椅子に座りましたが、かわりに、ハウルの持ってきた包帯を素早く奪い取りました。
「自分でやるからいいわ、そこまで迷惑かけられないもの」
今にも自分で治療してしまいそうなの手から、ハウルは優しく包帯を取り上げました。は椅子に座ったまま、手の届かないところまで包帯を持ち上げているハウルを驚いて見上げました。
が治療なんてしたらもっとひどくなるよ。君の不器用さは天下一品だからね」
そう言われれば、従わないわけにはいきませんでした。は細かい作業が大の苦手なのです。お皿洗いでさえ満足にできないのに、怪我の治療などできるはずがありません。おとなしくなったの前に、ハウルはしゃがみこみました。

「ハウルは世界一のぜいたく者ね、あたしの足をこんな至近距離で眺められるなんて。本来なら代金をもらっているところよ」
はすねたように言いました。
「代金なら払ったよ、王様からの報酬の一部をね」
ハウルは消毒液を傷口につけながら口の端を上げてを見上げました。消毒液がしみるのか、彼女は苦痛に顔をゆがめてハウルを睨みつけます。そして、さきほどの彼に負けないくらい意地悪く微笑みました。
「あれじゃ足りないわ、そうね、ツケてあげるから、一生働いて返してもらわなきゃ」
すると、ハウルは包帯を巻きながらクスクスと笑い始めました。
「それは一種の遠まわしなプロポーズかい?」
「そんなわけないでしょ、じょうだんよ。それに、あんたとの結婚生活なんて考えただけでも寒気がするわ」
はムッとした表情で言い切りました。ハウルはもくもくと包帯を巻いていき、最後に端をきゅっと結んで仕上げました。
「できた。お皿はぼくが直すから気にしなくていいよ、それと、これから先の皿洗いおよび料理、つまり家事全般はぜんぶソフィーに任せること。いいね?」
は立ち上がって足の具合を確かめながら、治療道具を片づけているハウルを怪訝な表情で見つめました。治療の仕方がいいのか、痛みは微塵もありません。
「めずらしく優しいじゃない、どうしたのよ。新しいターゲットでも見つけてご機嫌なの、それともあたしに媚を売って報酬をとり返すつもり? まさか、これからずっとこのことをタネにあたしをこき使おうってんじゃないでしょうね」
はジト目でハウルを見ましたが、彼はそれにもかかわらず、笑顔を浮かべたままでした。
「ぼくはいつでも女性に対して優しいつもりだけど」
このルックスでさらに魅力をあげるまじないを使い、それに加えて女性に優しいとあらば、よほど意志の強い者でなければ恋に落ちないわけがありません。彼の言葉の裏にそんな自身が潜んでいる気がして、エレンはなぜか少し悔しくなりました。
「そうね。ありがと」
怪我の治療が終わって、お皿の弁償の必要もないというのに、なぜだかの気分は晴れませんでした。

ソフィーはどこかを掃除中で、マイケルは出かけてる、んでしょう。