No.92 : Persuade


 男の姿が綺麗さっぱり消えたところで、キルアはあらためてに向き直った。すると彼女はどこか残念そうに眉根を寄せているではないか。キルアからしてみればある意味助けてやったようなものなのに、この態度はいただけなかった。
「おまえなぁ……あんなのについてくやつがあるか! 」
そう一喝すると、はバツが悪そうに唇を尖らせた。
「……だってホテルで三十分お話聞くだけで十万ジェニーって、すごく美味しいんだもん」
怪しすぎる金額設定に思わず崩れ落ちそうになる。
「そんなの話だけで済むわけねーだろ!」
しかしそれはも承知の上なようで、キルアの言葉が響いた様子はない。
「それは……見た感じただのおじさんだし大丈夫だよ。もし何かされそうになったら吹っ飛ばして逃げちゃえばいいんだから」
たしかにの意見ももっともだった。先ほどの男から念使いの気配は見られなかったし、あの細腕にを上回る腕力が秘められているようにも思えない。抵抗することも逃げることもきっと容易だろう。

 そして自分も未成年でギャンブルという完全なブラックゾーンに手を染めようとしている手前、人のことをどうこう言える立場ではない。
 しかしそれでもキルアは、がこんな方法で金を得ることを快く承諾できなかった。なぜだかはわからないが、想像しただけで頭痛がしそうなほどの強烈な嫌悪感が腹の底からわきあがってくる。
「おまえいつのまにか逞しくなったよな……」
見知らぬ男相手にどっしりと構えているを見て、キルアはしみじみと言った。天空闘技場で雑魚ばかりの挑戦者たちにビクついていた頃が懐かしい。
「……とにかく」
思わず漏れ出そうになったため息を押し殺してキルアが言う。
「こういう稼ぎ方はやめろ」
両肩を掴み、しっかりと目を覗き込むと、観念したようには頷いた。

 せっかく発見した美味いやり方である。ゴンの父親への手がかり、さらには自分の命運がかかっているのだから簡単に承諾できるわけがない。それでもは、キルアの言葉を受け入れざるを得なかった。
 彼の中に、を不利にさせようという算段や妬みの感情は一切ない。あるのはただ、本人の心配とその行為に対する嫌悪感だけだ。
 そこまではっきりと読めたわけではないが、彼が自分を見つめる瞳にただならぬ真剣味を感じとったは、すっぱりとその道を諦めたのだった。

▼ ▼ ▼

 カジノへ向かうキルアと別れたは、再び一人で街を歩いていた。本当はそのまま同行したかったのだが、成人を証明するものが何もないため、建物の入り口で門前払いされてしまうのがオチだろう。
 件の方法はダメ、賭け事もダメとなると、効率の良い金策などもうなにも残されていないように思える。とりあえず今日のところは諦めて明日に備えようと、は格安の宿泊施設を求めて再びネットカフェに舞い戻った。

「……あ、
カウンターで受付用紙を記入していると、背後から聞き覚えのある声がした。振り向けば、なみなみ入ったドリンクを片手にゴンがこちらを見ている。
もここに泊まるの?」
そう問いかけるゴンの嬉しそうな空気は途端に伝染した。
「うん。ゴンも一緒なんだ、よかった!」
勝負の最中であることも忘れて、二人は笑顔を見合わせる。ただただ目的達成のために過ぎていくはずだった日々が、一気に楽しくなってきた瞬間だった。

 は受付を済ませると、ゴンが利用しているという個室を訪れた。床は全面フラットシート仕様で、子ども二人ならば十分横になれる広さだ。天井は吹き抜けになっており、パソコンの周りにはヘッドホンや各種周辺機器が揃っている。
「わー、なんか秘密基地みたいだね」
は声を潜めながらそう言うと、持ち込んだソフトクリームに口をつけた。どこかで口にしたことのある何の変哲もない味だが、これが食べ放題だと思うとまるで楽園のようだ。

 ゴンも一緒になってフレーバー違いのそれをちびちびと舐めていたが、パソコンの画面にある通知が目に入り「あ」と声をあげた。
「そういえば、さっき早速ひとつ品物が売れたんだ」
「……え、もう!?」
思わずの手元からコーンが滑り落ちそうになる。
「えへへ、2100ジェニーの儲け!」
ゴンはそう言うと、嬉しそうに残りのクリームをたっぷりと口に含んだ。自分がホテル街でモタモタしている間にゴンは着実に前進していたと知り、の胸中はゆっくりとざわつき始めた。

 コーンを持つ手に自然と力がこもる。包み紙が乾いた音を立てた。その直後、あっという間にすべて食べきってしまったゴンが振り向く。
「だからさ、ももう一度チャレンジしてみない?」
そう言ってゴンはにっこりと笑った。彼の口の端についたクリームに意識を奪われていたは、その言葉を処理するのにしばらくかかった。
「……え?」
「やっぱりお金を稼ぐならさっきの方法が一番だと思うんだよね。長くやってるうちにコツとかも掴めてくるだろうし」
もちろん今度はちゃんと公共サイトでね、と白い歯を見せる彼にはすっかり毒気を抜かれてしまう。競争という話はどこへ行ってしまったのか、ゴンは先ほどの取引で得た独自のノウハウを饒舌に語り始めた。
「……あ、もしライセンスが必要になったら言ってね!」
ここまで来るともはやライバルというより仲間である。は勝手に焦りを感じていた先の自分を恥じ、ほんの少し熱くなった目頭を気にしながら力強く頷いた。

同盟。